「谷根千」についての註など

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東浩紀北田暁大『東京から考える』の東浩紀による「まえがき」には「注釈は編集部が作成した」(p.9)とあるので、両氏には責任はないのだろう。
その「谷根千」という言葉の「注釈」に曰く、

東京の下町として有名な文京区から台東区一帯の中、津、駄木周辺地区の総称。都市開発が行われず、いわゆる「下町の生活」がいまも息づく。(p.168、太字は原文では傍点)
これを読んだとき、?が4つくらい浮かんできた。「谷根千」という言葉は森まゆみさんが雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊したときに、雑誌の略称として付けられて、その後地域の名称へと転用された筈なので、森まゆみさんとかその雑誌のことに言及しないこと自体が失礼な振る舞いだということになるだろう*1。また、「谷根千」一帯がおしなべて「下町」であるわけではない。谷中は寺町だろうし、千駄木は川瀬さん*2のお師匠さんの生家もある山の手のお屋敷町で、所謂「下町」は根津だいうことになる。また、「都市開発が行われず」とあるが、1980年代に根津から千駄木にかけての不忍通り沿い(というか千代田線の上)の再開発はけっこう酷かった。雑誌『谷中・根津・千駄木』の発行自体、そうしたことへの抵抗という意味を持っていた。勿論、谷中や千駄木も無傷というわけではないが、相対的に軽傷だったのは、上述の地域特性によるものだろう。また、ひっくるめて「谷根千」といった場合、その面白さは「いわゆる「下町の生活」がいまも息づく」ということではなく、全く違った3つの都市形態がコンパクトに集中しているということだろう。
さて、一括りの地名でどうしても馴染めないのは、さいたま市とか。というよりも、私にとっては、浦和であり蕨であり大宮なのであって、さいたま市なんて認めない。地元の人はどう思っているのだろうか。さいたま市民という意識なのだろうか、それとも依然として浦和や蕨や大宮の人間だと(正しく)思っているのだろうか。
また、青山真治監督の『サッドヴァケイション』を観て、北九州の荒涼としてかっこいい風景に萌えてしまったのだが、余所者からすると、海峡の門司、無法松の小倉、製鉄所の八幡という部分のイメージは浮かんでくるのだが、北九州市全体のイメージはちょっと想像し難い。