浅田彰と余華

承前*1

『朝日』の記事;


浅田彰氏は今 ポストモダン若者に語る

2008年8月7日11時36分


 『構造と力』(83年)で、浅田彰氏(51)が論壇に登場して四半世紀。今春、京都大准教授から京都造形芸術大教授に転じて初めて教壇に立ち、「芸術哲学」の講義を担当している。

 「20、30年ほどで世代は移り、文化は忘れ去られていく。ポストモダンの思想も消費され、ものすごい勢いで忘却が進んでいる」と浅田氏はいう。マンガ、アニメ、ゲームなどが隆盛を極め、「(マイナーだった)それらが逆にメジャーになり、芸大生が今さらポップカルチャーを追究しても仕方ないという考え方まで現れた」。

 80年代のニューアカデミズムブームもポストモダン思想も知らない学部生に、教室では「カントが『真善美』をバラバラにしたのが近代。それをもう一度シャッフルしてみる議論がポストモダン」などと説明してきた。万人が共有できる価値観は消失したという現状認識に立つポストモダン思想の本質をなんとか伝えようと、10月からは中沢新一柄谷行人東浩紀氏らを招いて連続公開講座も開く。

 その中沢氏は7月4日、京都大で講演。人類学から心の問題まで3時間以上も熱く語った。その中で中沢氏は、世界を席巻する市場原理が、人々の心に大きな軋轢(あつれき)を生んでいると指摘。「市場と心の世界を分離して両者の関係を変えないと、地球上の問題は解決されない」。浅田氏の言う「シャッフル」の一例を示した形となった。

 「オタク」や「オカルト」が市民権を得るのに、ポストモダンは一役買ったと言われる。『逃走論』が描いた自由で軽やかな若者像はフリーターを肯定し、社会格差を広げたという指摘もある。市場原理の重圧が当時以上に強まった中で生きる今の若者に、こうした言葉はどう響くのだろうか。(小林正典)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200808070140.html

それから、余華の『兄弟』*2の翻訳がもう出るのか;

中国40年の悲喜劇 文革と開放描いた「兄弟」

2008年8月2日15時2分


 文化大革命と改革開放という中国の極端な変遷を、ある兄弟の人生を介して描いた小説『兄弟 上下』(文芸春秋、泉京鹿訳)の著者余華(ユイ・ホア)さん(48)が来日した。経済成長のバブルぶりを風刺して賛否の渦を巻き起こし、本国では130万部を超えた。「中国の長い歴史の中でも、たった40年でこれほど天地の違いが訪れたことはない。その悲喜劇を書いた」と話す余さんにきいた。(吉村千彰)

 舞台は長江南部の町。前半は〈文革編〉。両親の再婚で連れ子同士が兄弟になる。幸せな家庭の父は、どんな時もユーモアを忘れず高潔だったが、「地主」階級と打倒され殴り殺される。後半は欲望全開の〈開放経済編〉。父譲りで誠実な兄は地道に生き、公衆便所でのぞきをしたような弟が、成り金街道をまっしぐらに進む。文革時代に労働者の旗を振りかざした面々が弟に群がり、町を出た兄には悲惨な結末が。

 二つの時代の本質をついた『兄弟』を書き終わった時、「書いたのではなく発明した気分。作品は作り出すものではなくたまたま出会うものだと思った。20年書いてきて初めての体験だった」という。

 だが、お涙ちょうだいにすぎる、自虐的すぎると批判が高まり、批判集が本として出版されたほど。デビューしたころは前衛的だと保守派から批判され、チャン・イーモウ監督が映画化した『活(い)きる』で人気作家になり、同世代から伝統的と攻撃された。

 「『大風と大波の中をくぐり抜けていけ』という毛沢東の言葉が座右の銘」という。「様々な意見をきけるので批判は悪くない。『活きる』も10年後には誰もが良い作品と認めた」と、ゆるがない。

 書評のひとつに「他の作家は社会問題を書くときに医者の立場で書くが、余華は病人の立場で書いている」というものがあった。「的を射ていると思った。現代社会の問題は治療できるとは思わないが、正面から見据えることは必要だ」

 6歳からの10年間という多感な時期に文革を経験した。中国でも文革を知らない世代が増えているが、「私にとっては財産になっている」。

 余さんの父親は文革当時、病院長だった。資本主義に加担した「走資派」として壁新聞に書かれた名前に×印がつけられた。同級生の父は「地主」で、殴られ傷だらけになった姿を見たこともある。「その人は家族と談笑しながら歩いていた翌日、自殺した。私自身、いつも、父が自殺するのではと心配だった」

 文革時代の狂乱は、経済成長時代にもあると見る。「今の中国の問題は、誰もが自分はクリーンだと思い、問題はほかにあると考えていること」

 北京在住。今月オリンピックが開かれる。「去年の今頃は楽しみだったが、チベット問題や四川大地震があって、今はその期間がただ安全に過ぎてくれればいいと思っている。地震で被害がひどかったのは、開発が遅れていた地域だ。改革開放で豊かだった所はもっと豊かに、貧しかった所はもっと貧しくなっているのです」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200808020199.html