http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html
松尾筺『はだかの王様の経済学』という本は勿論読んでいないが、それに対する山形浩生氏の全面否定に近い書評を偶々読む。その中から、
という箇所をメモしておく。
宗教だって、神様はすごいかもしれないけれど、そう思った瞬間に残されたのは利己的で身勝手で惨めな虫けらのような存在たる自分だけ、というのは明らかに変だ。神様は 1,000 くらいえらいし、あたしはもちろんそれには及ばないにしても、10 くらい行ってるからなかなかのもんじゃないかしら、と得意になって「抑圧→みじめ!」にならない道だってあるだろうに。
これって、宗教改革とルネサンスじゃんと一瞬思った。神の価値を上昇させるために人間や自然を含む被造物の価値を徹底的に低めたのが宗教改革だとすると、新プラトン主義の影響を受けたルネサンス人は逆のことを考えた。人間は万能の神が自らのコピーとして創造したものであるなら、もっと賢くなることが可能だし、そうすることこそが神の愛に応えることなのだ、と。
ところで、マルクスってルソーなのか。