『古典與唯美』など

日曜日は上海美術館で『古典與唯美』*1を観る。墨西哥のPérez Simón Foundationの(英国と仏蘭西を中心とした)19世紀ヨーロッパ絵画のコレクション。アカデミー派から始まって、オリエンタリズム*2、浪漫主義、ラファエル前派、印象派に及ぶ19世紀絵画を概観するのはかなり久しぶりのことだ。展示の中には1899年のムンクの絵がある。英国美術に関しては、高橋裕子『イギリス美術』でも見て、復習しようと思ったが、生憎この本は手許にあらず。

イギリス美術 (岩波新書)

イギリス美術 (岩波新書)

上海美術館では、さらに譚軍の『異語者』*3。譚軍の作品は『山海経』をモティーフとしており、些か表現主義的な感じがあるが、その作品においては(地であるべき)紙が図に拮抗する存在感を有していることにさらに注目すべきであろう。
また、さらに『為了明天的記憶(Memories for Tomorrow)』*4。これはUBS*5現代アート・コレクション。その中で注目したのは、Susan Hillerの写真+インスタレーション”The J. Street Project”。小さなフレームに収まったヨーロッパの街角の写真が何十枚も展示される。一見ありふれたヨーロッパの田舎町を写した写真だが、これらの街角は全て”Jude”という接頭辞が付いている。つまりは、かつてのユダヤ人居住区であり、ナチスによって消滅させられた独逸のユダヤ人コミュニティの記憶が再生されることになる。また、米国の写真家Nicholas Nixonの”The Brown Sisters 1975-2007”。彼の妻とその3人の姉妹の1975年から2007年に及ぶ(同じポーズ、同じ構図での)ポートレイト。或る固有な時間の空間化。或いは、荒木経惟の”The Days We Were Happy”という1972年の作品。そこで使われているのは如何にもノスタルジックな古い写真(昭和30年代?)。荒木はこれらの写真を引き破り、再度くっつけるという操作をしている。ノスタルジーは記憶が解体され・再構成される中で生成する。また、中国人アーティスト曹斐のヴィデオ作品”Whose Utopia?”。広東省仏山の某外資系電球工場を舞台に電球の生産過程とファンタジーを描く。また、Lucian Freudのドローイングも何点か展示されている。実は彼の作品を生で観るのは初めてなのだが、彼の描く人体のマッスとしての存在感は凄いと思った。
さらに、雨の中、茂名北路のAndrew James Art*6へ。盛奇*7『紅黒歴史History in Black and Red)』。色彩の圧縮。また、フォト・リアリズム的な絵に絵の具が滴り落ちる。この絵の具の滴りは(観る者にとっては)描かれている者よりも前面化される。この滴りは雨なのか、それとも涙なのか、それとも血なのか。因みに、盛奇は1989年に精神的ショックから自らの小指を切り落としてしまった人である。
また、雨の中、英国から仏蘭西に移動して、食事。
途中で、Keren Ann Keren Annを買う。このイスラエル生まれで仏蘭西在住のシンガーは5月に上海でライヴを行ったのだが、見逃してしまった。
Keren Ann

Keren Ann