ちょっと微妙か

『毎日』の記事;


雑記帳:青森・新郷村でキリスト祭

 キリストが天寿を全うした地という説がある青森県新郷村で1日、恒例の「第45回キリスト祭」が開かれた。

 キリストの遺言などが書かれているとされる文書が昭和初期に見つかり、十字架にかけられたのは弟の「イスキリ」で、キリストは日本へ渡り、村で106歳の人生を終えたという。村にはキリストとイスキリの墓もある。

 祭りでは、神主が墓前でキリストを慰霊し、村民が南部地方伝統の盆踊り「ナニャドヤラ」を奉納。神事を取り仕切った細川潤八郎神主は「八百万(やおよろず)の神の1人がキリストさんでもいいでしょう。教義的には問題はない」。【喜浦遊】



毎日新聞 2008年6月1日 19時04分(最終更新 6月1日 19時05分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080602k0000m040041000c.html

何だかほのぼのとした記事なので、こういうのに文句をつけるというのは無粋であるのかもしれない。詳しくは、藤原明『日本の偽書』とか長山靖生偽史冒険世界』 を参照すべきなのだろうけど、上の記事で「キリストの遺言などが書かれているとされる文書が昭和初期に見つかり」というのは、作られとか捏造されというのが少なくとも現段階では正しいということになるだろう。所謂「竹内文書」という奴ですね。上の記事のように書くことで問題なのは、この「キリストとイスキリの墓」問題の場合、〈捏造〉が二重化されており、上の記事は、大手新聞が肯定的に紹介するということによって、その二重の〈捏造〉を隠蔽してしまっているということなのだ。二重の〈捏造〉とは歴史のレヴェルとフォークロアのレヴェルである。基督が青森県で死んだということは、「古代ユダヤ」云々な人々*1を除けば、あまり信じる人はいないだろう。しかし、歴史的事実としては信じない人でも、現地にそのような伝説が自然発生的に広まっていたということは信じるかもしれない。上の記事はそれを補強していることになる。しかし、現地にそのような伝説が広がったというのは関係者の意図的なキャンペーンの効果であることは明らかである。
しかしながら、(矛盾するかもしれないが)こういうことを全面的に否定する気にもなれない。その由来はともあれ、コミュニティがそれを消化し、観光や村おこしのネタとして使うことを外部の人間がとやかくいうことはできるのか。また、現在はその土地のフォークロアとか民俗行事として定着しているものでも、元を質せば、例えば修験者のようなプロの宗教者のキャンペーンによって広められたというのは数多くあると思う。さらにいえば、どこの国でも近代における発明された伝統*2というのはうんざりするほどあるわけだが、神前結婚式は近代の発明だから神社で結婚式をするなとはいえないだろう。ただ、それが近代の発明であると明言すること、それを〈日本古来の〉云々といい、はたまたナショナリズム(民族精神)とかに結びつけるような言説を批判していくというのは、少なくとも人文的な教養を持った人の責任であるともいえる。ナショナリズム(民族精神)とかに呑み込まれずして、様々な〈伝統〉を個人が横領していくことが肝要であるともいえるのだろう。
日本の偽書 (文春新書)

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偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)

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ところで、青森県ならぬイスラエルにおける「耶蘇の墓」についての騒動については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070226/1172501829http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070302/1172804794を参照されたい。
また、「相馬村」の事件もございました*3