When “Hi-mote” breaks

承前*1

一部で話題になっている(らしい)〈非モテ〉のキレ方についての「ナツ」という人の類型化をメモしておく;


「なぜ俺はモテない(異性に承認されない)のか?」
とネットで悩んでいる非モテに向かって、「こういう対応をすれば異性と親しくなれるのでは」と言及すると、


(1) 「女の機嫌を取れと言うのか」「女に媚びろと言うのか」「お前は女に都合のいい男を作りたいだけなんだろ」「で、お前は何をしてくれるんだ?」とキレられる


(2) 『モテたいと思っていない』と主張する非モテが飛んできて、
非モテにモテのためのアドバイスをするのは、恋愛至上主義に脳が侵されている証拠。こっちはモテたいと思っていないのに大きなお世話だ。お前のような存在が恋愛資本主義をのさばらせ云々」
と叩かれる


(3) 「モテたくないならモテなくても良いじゃん? 同じとこでぐるぐる回ってないで、一人で趣味にでも没頭したらどうだろう」と提案するとキレられる


(4) 「わたしの経験では・・・」と経験論で語ると、「恋愛経験者が上から目線でえらそうにほざくな」とキレられる


(5) 「今までは運がなかっただけでは? 相性が合わなかっただけかもしれないし。そのうち相性の合う人が現れるよ」と楽観論を提示するとキレられる


(6) 非モテ問題への言及者が女性である場合、男性の三倍(当社比)の勢いでキレられる
(例:「女帝様」「おなご様」などと「性」をあげつらわれ茶化されたりする。これは、「女のくせに生意気」「女がそんなことを言うのは気に入らない」「女はこれだから」という性意識に依るものだと思われる。本人はそれが性的偏見であるという自覚がない)


(7) 単に愚痴りたいだけなのか、と放置しておくと、
「なぜ俺はモテないのか」→「それは女が悪いから」→「今のおなご様はみんなビッチ」
と結論づけ、女叩き・リア充叩きが加速
または
「なぜ俺はモテないのか」→「それは社会が悪いから」→「打倒恋愛資本主義
と、わけのわからん屁理屈を捏ねて社会批判やデモに走る
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0402001913.php

これに対しては、「非モテ」というよりは「ミソジニー」と呼ぶべきではないかという指摘もあり*2。ただ、改めて認識したことなのだが、「非モテ」というのは客観的に〈モテていない状態〉を記述した言葉でもないし、また誰かがそのような人たちに捺したスティグマでもない。それは言うならば、〈自己スティグマ化(self-stigmatization)〉であり、自らのアイデンティティとして選び取られたものであるらしいということである。「非モテ」と「ミソジニー」との関連は可視的であるともいえるが、両者はさらに深いところで繋がっているのではないか。というわけで、「陰謀理論*3と同様に「非モテ」というのは哲学(批判)の問題として考えるべきだろうと思っているのだ。
タイトルはZEPの曲から*4
Led Zeppelin 4: Zoso

Led Zeppelin 4: Zoso