〈成長しろ〉の強迫

〈自分探し〉*1ということを推奨する言説、逆にそれを批判する言説の何れにも共通するのは、〈成長しろ〉という強迫であるのかもしれない。一方は今のお前に安住していないで本当の(ありうべき)〈自分〉を探しに行かないとお前は成長できないといい、他方はそんな青臭いことと訣別して、現実を直視して地に足を着けろという。言っていることは反対かもしれないが、どちらにせよ、〈成長しろ〉と煽っていることには変わりはないのではないか。
そういうことを脳内に留保しながら、内田樹氏の文を読む;


人間は自分に対しても原則を立てる。
「原則を立てる私」と「原則を適用されて言動を律される私」に二極化するという芸当が私たちにはできる。
そして、自分自身のために立てた原則はどのような外在的な規範よりも拘束力が強い。
「プリンシプルのある人間」という評言が、表面的にはほめ言葉でありながら、ある種の皮肉を含んでいるのはそのせいである。
きびしい原則を立てて自分を律している人間は、それと気づかぬうちに自分を「幼児」とみなしていることを私たちは無意識に察知している。
その人は、自分自身のうちで擬制的に「親と子」を二極化して、理想我としての「親」によって、現実の幼児的な自我を「訓導」させようとしている。
これは効率的には悪い方法ではない。
しかし、難点は現実の親子と違って、この場合は「親」も「子」も同一人物だということである。
理想我であるところの「私=親」は「私=子ども」に乗り越えられることをはげしく拒否する。
http://blog.tatsuru.com/2008/04/07_1315.php
要するに、自己内に〈共依存〉の構造があるということである。また、この構造によって、〈幼稚さ〉と〈成長しなければならない〉という強迫的な欲望が再生産されるということは注意しなければならない。さらに、内田氏は「原則的な人」は

自分が立てた原則に基づいて自分自身を鞭打ち、罵倒し、冷酷に断罪することにはずいぶん熱心だが、その強権的な原則そのもの妥当性については検証しようとしない。
原則の妥当性を検証する次元があるのではないかということに思い及ばないのである。
それが「原則的な人」の陥るピットフォールである。
そのようにして「原則的な人」はしばしば全力を尽くして自分自身を「幼児」段階に釘付けにしてしまう。
とも述べる。
ここから思い浮かんだことは2つあって、一つは「「幼児」段階に釘付け」になるということは、主体-客体構造に縛り付けられるということであるということだ。内田氏の論では、「原則を立てる私」は常に無傷だということになる。しかし、これは若干の修正を要するだろう。実際には(常にといっていいくらい)「原則を立てる私」は挫折する。それとともに、「強権的な原則」も。だからといって、「原則を立てる私」と「原則を適用されて言動を律される私」の構造が崩壊してしまうわけではない。起こるのは、一種の人事異動というか地位の降格である。「原則を立てる私」は降格されてしまう。空位になった「原則を立てる私」の座には外部に投影された別の主体が(別の「原則」をともなって)座るということになる。しかしながら、構造は全く変わっていない。また、この構造は主体内的(intrasubjective)な準位のみならず、自‐他関係の準位においても、対世界的なスタンスにおいても(どれが最も先行するのかという議論はさて措いて)適用可能なものであろう。「原則的な人」にとって、コミュニケーションは究極的には命令/服従に還元されており、こういう人は自己にも、他人にも、世界にもやさしくないのだが、強調しなければならないのは、このようなコミュニケーションはけっして公共性の光を浴びてはならないということである*2。因みに、「原則的な人」は「原則を立てる私」の地位変動状況によって、個人主義者にも全体主義者にもなりうるが、その何れであっても、〈主体主義〉であることには変わらず、個人主義(とはいっても、山崎正和*3が「柔らかい個人主義」に批判的に対置した「固い個人主義」)と全体主義は同じ根っこを共有するといえる。
柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

ここでいう「原則的」とは、naoya_fujitaという方がいう「まじめ」ということに通じるのだろうと思う*4。また、ここでは「原則」(多分英語ではprincipleだろう)という言葉を内田さんが使う意味で使ったが、アレントがいうprincipleはまた別の、そして重要な意味を持つだろうと思う。詳しくはおばさんの『革命について』を参照することを要請するが、それは忘却され・想起されることによって反復され、歴史を開くような何ものかである。
On Revolution (Classic, 20th-Century, Penguin)

On Revolution (Classic, 20th-Century, Penguin)

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080301/1204334013 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080308/1204949369

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080407/1207591421で述べたことに関連する。

*3:山崎正和 という思想家の重要性については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070427/1177646298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070507/1178561806にて言及した。

*4:http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080326 このエントリーを読んでまず思ったのは、「アノミー」という概念がきちんと咀嚼されているかなり稀に属するテクストだなということである。因みに、「アノミー」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070112/1168571361で触れた。