マイティ・ハート/愛と絆 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
- 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
- 発売日: 2008/04/04
- メディア: DVD
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マイケル・ウィンターボトム監督の『マイティ・ハート』*1を観る。
2002年にパキスタンのカラチで米国人ジャーナリスト、ダニエル・パールがイスラーム系のテロリストに誘拐され・殺害された。この事件を妻である仏蘭西人ジャーナリスト、マリアンヌ・パールの視点から描いたもの。夫が行方不明になり、捜査が開始され、マス・メディアが押し寄せ、そして殺害という結末に至る。この過程をカメラは、カラチの街の風景も、そして(通俗的な映画だったら強いエモーションを込めて描く筈の)パキスタン当局による被疑者拷問のシーンも含めて、淡々と追ってゆく。この映画は実話に基づいてはいるが、その歴史的背景(911、それに続く米軍のアフガニスタン侵攻等)について知らなくとも、良質なサスペンスとして娯しむことができるだろう。 マリアンヌを演じたアンジェリーナ・ジョリーの演技が凄かったところは、公での気丈さと独りになった時の不安や悲嘆の噴出を演じ分けていたところか。
偶々見た米国と英国のレヴューはこの映画に対してかなり批判的であった。NYTのManohla Dargis氏*2はこの映画が「擬似ドキュメンタリー的」でありながらも事件を非歴史化してしまっていると批判する。また、GuardianのPeter Bradshaw氏は”really nothing more than a very, very classy TV movie”と断じている*3。Peter Bradshaw氏のレヴューの後半部分は興味深いので、引用しておこう;
マリアンヌの受動性。これは彼女が〈証人〉という立場を採るということを選択したということだろう。或いは、仏教的な諦念と関係があるのかもしれない*4
There is some interest and excitement in the frantic detective work on the part of cops and spies and embassy officials. But the emphasis, ultimately, is on the passive figure of Mariane, who has nothing to do but be very, very brave. This is basically tame and fence-sitting stuff from a director who gave us such bold movies as In This World and Road to Guantánamo. Jolie is intelligent and restrained, but the movie never gets inside Mariane's mind or heart.
さて、この映画では、閑静な高級住宅街にあるパールの住む邸宅は(テロリストたちが潜伏しているであろう)ごちゃごちゃとしたカラチの場末とは隔絶した空間として設定されている。しかし、この隔絶した空間は、この事件の歴史的・文化的背景が凝縮された空間となってしまう。米国人のジャーナリスト、FBI、パキスタンの特務機関、印度人のジャーナリスト。また、誘拐された当のダニエル・パールはユダヤ系である。
という。この「複雑さ」が凝縮されているのがその邸宅なのである。
そしてもうひとつこの問題の複雑さを象徴しているのがアーチー・パンジャビが演じるアースラである。パキスタンでアメリカの新聞社の仕事をしているインド人である彼女はパイスタント[パキスタンと]アメリカ、パキスタンとインドというふたつの穏やかではない関係を同時に抱えている。しかもダニエルとマリアンヌが暮らしているのは彼女の家であり、必然的に捜査本部が置かれるのも彼女の家になるのだ。彼女はマリアンヌと信頼関係にありながら、パキスタン人からはインドのスパイと中傷される。ユダヤ人であるダニエルはモサドとつなげられ、アースラはインドとつなげられる。
これはもはやアメリカとパキスタン、あるいはアメリカとイスラム過激派の間だけの問題ではない。さまざまな国や勢力を巻き込んだ巨大な情報戦争なのだ。この作品はその難しさを見事に表現している。もうひとつの愛の物語としての側面、これは非常にシンプルなものだ。愛する夫を理不尽な暴力によって奪われることへの恐怖と不安、マリアンヌはその恐怖と不安と戦わなければならないのだ。この作品が感動作となるのはこの愛の物語としての側面によってだ。
http://www.cinema-today.net/0711/23p.html
また、今引いたレヴューにはさらに興味深い一節がある;
これはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080215/1203101413で述べたことと関連するか。
そして、この作品からさらに考えを進めようというときポイントになるのは、パウエル国務長官の記者会見の映像だ。彼は被害者のことを気にかけているようでいながら、テロリストと交渉することは断固として拒否している。
これは国家の政治のレベルからは個人が見えないことの一例だ。個人のレベルでは現実に悲劇が起き、テロリストもテロリストではないパキスタン人も顔を持った人間としてマリアンヌたちの前に姿を見せるが、アメリカ政府にとって彼らは“テロリスト”という顔のない集団に過ぎない。国家レベルの政治におけるテロリストと現実の中で出会うテロリストの間には大きな違いがある。
*2:http://movies.nytimes.com/2007/06/22/movies/22migh.html
*3:http://arts.guardian.co.uk/filmandmusic/story/0,,2173134,00.html
*4:映画では、彼女が南無妙法蓮華経というお題目を唱えるシーンが1度だけある。後に、彼女が創価学会の信者であることを知った。「創価学会」との関係を批判的に捉えたものとして、http://archive.mag2.com/0000226121/20071123011628000.html、http://d.hatena.ne.jp/madogiwa2/20071126を読んだ。