「死のフーガ」

承前*1

空腹の技法 (新潮文庫)

空腹の技法 (新潮文庫)

ポール・オースター「流刑の詩」(in 『空腹の技法』)から。
オースターは、パウル・ツェランの「死のフーガ」を「アウシュヴィッツ以降に詩を書くことは「野蛮」だというアドルノの駄弁の対極」(p.118)という。そして、ここではその最初と最後のスタンザが引用されている――


明け方の黒いミルクぼくたちはそれを晩に飲む
ぼくたちはそれを昼にそして朝に飲むぼくたちはそれを夜に飲む
ぼくたちは飲むそして飲む
ぼくたちは空中にひとつの墓をシャベルで掘るそこは横たわるのに狭くない
ひとりの男が家に住みかれは蛇たちと戯れるかれは書く
かれは書く暗くなるとドイツへ君の金色の髪マルガレーテ
かれはそれを書くそして家の前に歩むそして星たちがきらめきかれはかれの犬たち
 を口笛で呼び寄せる
かれはかれのユダヤ人たちを口笛で呼び出し地面にひとつの墓を掘らせる
かれはぼくたちに命ずるさあダンスの曲を奏でよ(cited in p.119)

明け方の黒いミルクぼくたちはお前を夜に飲む
ぼくたちはお前を昼に飲む死はドイツからきたひとりのマイスターだ
ぼくたちはお前を晩にそして朝に飲むぼくたちは飲むそして飲む
死はドイツからきたひとりのマイスターだかれの目は青い
かれは君に鉛の弾を当てるかれは君に命中させる
ひとりの男が家に住む君の金色の髪マルガレーテ
かれはかれの犬たちをぼくたちにけしかけるかれはぼくたちに空中にひとつの墓を
 くれる
かれは蛇たちと戯れるそして夢みる死はドイツからきたひとりのマイスターだ


君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート(cited in pp.119-120)

オースター曰く、

きわめて抑制され、この上なく情念的なテーマを形式によって昇華させているとはいえ、ツェランの詩作群のなかで「死のフーガ」は、むしろきわめて直接的な部類に属する。六〇年代に入ると本人はこの詩を否定するに至り、それまで認めていたアンソロジー収録も拒むようになる。ツェランにとって、自分の詩はいまや、「死のフーガ」があからさまで皮相的にリアリスティックに思えてしまう次元まで進んでいたのである。(略)ツェラン作品の大半に共通する要素がここにはいくつも見られる。言語の張りつめたエネルギー、私的な苦悩の対象化、思いとイメージのあいだにもたらされている異様なまでの隔たり。(後略)(pp.120-121)
この訳本では中村朝子訳が使われているが、私の手許にある飯吉光夫訳の『パウル・ツェラン詩集』(小沢書店)では、「死のフーガ」はpp.18-21にある。
パウル・ツェラン詩集 (双書・20世紀の詩人 5)

パウル・ツェラン詩集 (双書・20世紀の詩人 5)

ところで、ここでも「掘る」という形象が登場していることに気付く*2