ライフ・ヒストリーに統合されない

所謂「従軍慰安婦」問題*1を巡って、元日本軍兵士からの証言。
『朝日』の記事;


慰安所行った、でも話せない 元兵士「妻や子にも迷惑」


 【武田肇】旧日本軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。

 「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。

 太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」

 月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にする女性は朝鮮人だった。時間は10分程度。心の安らぎもないまま事務的に済ませて、外に出たという。

 慰安婦と日本語で会話を交わすこともあった。でも、「なぜ、そこで働いていたかは聞かなかった」。男性自身、死を覚悟する毎日だった。彼女らがかわいそうという感覚はなかった。「ぼくらも消耗品。自由を奪われたかごの鳥同士、同類相哀れむような感覚だった」

 心に閉じ込めていた記憶がよみがえったのは、5月中旬、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の発言をきっかけに、「慰安婦」問題が連日報じられるようになってからだ。慰安婦を思い、「残酷な人生や」と胸が痛んだ。

 「(当時)慰安婦は必要なのは誰だってわかる」と語った橋下氏に憤りが募った。「戦場を見てきたかのように軽々しく言ってほしくない」。だが、そんな葛藤も人前では語れない。「ぼくらが何を言っても世間にたたかれるだけ。それに話せば妻や子、孫にも迷惑がかかる」
http://www.asahi.com/national/update/0701/OSK201306300117.html

自らのライフ・ヒストリーに統合不可能なこと、「家族にも一切明か」すことのできない経験は(定義上)〈悪〉だといえる*2。勿論、きれいごとだけでは生きていけないので、誰もが幾つかの〈悪〉、自らのライフ・ヒストリーに統合できない経験、誰にも話せず、自分でもできれば忘れ去ってしまいたいようなことを抱えている筈ではある。また、そのような〈悪〉を抑圧したり・解離したりせずに、きっちりと意識化して、ライフ・ヒストリーに統合すべく努力すべきだという倫理的な主張も成立はする。
慰安婦」問題を語る場合、少なからぬ当事者にとってその経験が上に言う意味での〈悪〉であるということは、少なくとも念頭に置いておくべきであろう。