表象を巡るメモ

歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学 (NEW HISTORY)

歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学 (NEW HISTORY)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071231/1199084983で少し引用したRoger Chartier「表象としての世界」からのメモ。
アンシャン・レジーム期の仏蘭西におけるrepresentation(表象)という語の意味について。


古き時代の定義、たとえば、フュルチエールの『フランス語辞典』一七二七年版*1の定義などでは、「表象」という見出し語は、一見矛盾しているように見える二系列の意味グループの存在を示している。すなわち、一方において表象は、そこには現在していないものを見えるようにするのであり、そのことは、表象するものと表象されるものの明確な区別を前提としている。他方において、表象は、そこに現在しているものをあらわにすること、物や人を皆の眼にはっきり示すことを意味している。第一の意味においては、表象は、不在の対象に代えて、それを想い起こさせ、あるがままに「描出」しうるような「イマージュ(像)」を用いることにより、不在の対象を目のあたりにさせる媒介的な認識の手段である。これらのイマージュのあるものは、まったく物的なイマージュであり、何らかの物によって、不在の存在を表すのだが、それは、不在のものに似ている場合もあれば、似ていない場合もある、フランスやイギリスの国王の葬儀に際し、王棺の上に置かれた、蝋や木や革でつくられた似姿などがそれである(「葬列用の寝台に臥された亡き王を眼にしようとしても、そこにあるのは追うの表象、王の似姿のみである」)。もっと一般的で、より古い例でいえば、黒布で覆われた葬礼用の輿の場合であり、そこには亡骸は存在しないけれども、これまた、亡き王を「表象」しているのだ(「教会において死者のためにミサをとり行う際に、喪中を示す布で多い周辺にローソクを灯す見せかけの棺のことも「表象」と言う」*2)。これに対し、別の次元で機能するイマージュもある。それはシンボリックな関係の次元なのだが、フュルチエールに言わせれば、「自然の事物が具えている形や属性による精神的なものの表象。(……)*3ライオンは勇気、球は無節操、ペリカンは父の愛のシンボルである。」それゆえ、眼に見える記号とそれによって表わされている指示対象とのあいだには、解読可能な関係が想定されている。必ず意図されている通りに解読されることを意味しないのは言うまでもないけれども。(pp.194-195)
「現前しているイマージュと不在の対象の関連づけ」=「表象関係relation de representation」の理論;

一方では、表象関係の多様な様態こそが、記号のさまざまなカテゴリー(確定的か蓋然的か、自然生のものか制度化されたものか、表象の対象に密着しているか距離をもつか、等)を弁別し、また、象徴を他のさまざまな記号との差異によって特徴づけることを可能にする。他方において、ポール・ロワイヤルの『論理学』はこのような関係が理解しうるものとなるために必要な二つの条件――すなわち、記号とそれが表現している対象にはズレがあることを認め、記号を記号として認識すること、また、記号と対象との間には両者の関係を規制する約束事が存在するということ――を確認することによって、表象には理解不能という事態もありうるという根本問題をはっきりと提示している。この理解不能の事態は、記号を読む者の「準備」不足によって生じる場合もあれば(このことは、記号と対象の関係を定めている約束事を教え込む形式と方法の問題にかかわっている)、記号とその指示する対象との恣意的な関係の「生き過ぎ」による場合もある(このことは、広く認められ分かち合われるような等価関係をういかに形成するかという条件そのものの問題を惹き起こす)。(pp.195-196)
アンシャン・レジーム社会における社会生活の演劇化」――「表象関係の倒錯」。これらは「事物がそれを表示するイマージュのうちにしか存在しないようにし、表象がその指示対象であるものを十分に描く代わりに覆い隠してしまうことを狙っているのだ」(p.196)。パスカルの『パンセ』断章82からの引用。印象操作を論じるパスカル。印象操作が存立する条件としての「想像力」;

想像力は、おとりの餌を本物と取り違えさせ、眼に映る記号を姿を見せない現実の確実なしるしとみなしてしまうが、表象関係は、こうして、想像力の持つ弱点により混乱させられてしまうのである。表象は、このようにねじ曲げられると、敬意と服従をつくり出す装置と化し、むき出しの暴力に訴えることのできない時には不可欠の、内面化された強制を生み出す道具となってしまう。(p.197)
パンセ (中公文庫)

パンセ (中公文庫)

ところで、Roger Chartierは、ロバート・ダーントンの『猫の大虐殺』刊行をきっかけにして起こった「象徴的なものの定義をめぐる論争」(p.206、註26)について、関連論文を挙げているので、それもメモしておく。


R. Chartier “Texts, Symbols and Frenchness” Journal of Modern History 57, 1985, pp.682-685
R. Darnton “The Symbolic Element in HistoryJournal of Modern History 58, 1986, pp.218-234
D. LaCapra “Chartier, Darnton and the Great Symbolic Massacre” Journal of Modern History 60, 1988, pp.95-112
J. Fernandez “Historians Tell Tales: of Cartesian Cats and Gallic Cockfights” Journal of Modern History 60, 1988, pp. 113-127
猫の大虐殺 (同時代ライブラリー)

猫の大虐殺 (同時代ライブラリー)

*1:FURETIERE Dictionnaire universel, contenant generalement tous les mots francais tant vieux que modernes et terms des sciences et arts, 1727

*2:R. E. Giesey The Royal Funeral Ceremony in Renaissance Franceからの引用。

*3:この省略は原文のもの。