武田泰淳@上海

川西政明「上海の泰淳故居を探して二十八年」『図書』705、2007、pp.42-44


武田泰淳は「昭和十九年六月九日」に上海に到着し、


滬西の安和寺路にある小竹文夫の家に寄宿しながら、フォッシュ路とアルベール路が交差しているところにあった中日文化協会に勤めた。この建物はフェアリーランドというデンマークのモラー汽船会社社長の私宅を接収したものであった。
昭和十九年十二月二十九日からは惇信路にあった福世花園に移り住んだ。この福世花園で泰淳は敗戦を迎え、聖書を読み、滅亡、審判、黙示録の世界へ目をひらかれた。この福世花園で、戦後文学を主導する一つの巨大な観念が生まれたのである。(p.42)
「中日文化協会」は1993年時点で、「延安路に面した中国共産主義青年団上海本部*1の建物になっていた」(p.43)。さらに、現在では「衡山馬勒別荘飯店というホテル」になっている。「衡山馬勒別荘飯店」は正しくは、「衡山馬勒別〓*2飯店」*3。別shuは英語のvillaに対応する言葉で、要するに庭付きのお屋敷。また、「馬勒」は「モラー」のこと。また、「惇信路」は現在の「武夷路」であり、 武夷路からさらに奥に入った「安化路」に「福世花園」はある(ibid.)。


また、味岡義人「海上派と日本との関わり 「上海 近代の美術」展」(『UP』422、2007、pp.22-27)を読む。近代における上海/日本の美術的関係。「 上海 近代の美術」展が渋谷区立松涛美術館*4で開かれていることを知る。しかし、日本滞在中に渋谷方面に出かける用はなかった。