『読売』の記事;
「在来馬」が減少したのは〈富国強兵〉というナショナリズムの大義のためであり、その意味では馬もナショナリズムの犠牲者といえるわけだが、これは或る意味でナショナリズムとパトリオッティズムの相克といえるだろうか。
種存亡の危機知って…上野動物園、33年ぶり在来馬飼育へ
千数百年前から日本で飼われてきた「在来馬」が今秋、33年ぶりに東京・上野動物園に再登場することになった。
在来馬は、戦前の品種改良と、戦後の農作業の機械化などで数が激減。8種のうち7種は現在、数十頭から百数十頭しか残っていない希少動物となっている。同園は「日本人の生活に密着してきた歴史的な遺産。その魅力を多くの人に知ってもらい、保護に役立てたい」と復活の理由を説明している。
上野動物園で秋から飼育されるのは、トカラ列島(鹿児島県)で多く飼われたトカラ馬と、源平の合戦でも活躍した木曽馬。
在来馬は、モンゴル系の馬が祖先で、体高(ひづめから肩までの高さ)は最大135センチ。サラブレッドより約30センチも低いため「日本ポニー」の異名もある。保護に取り組む日本馬事協会は、「山の多い日本の地形でも走れるよう、ひづめや足が長い年月を経て丈夫になった。粗食でも飼育できる」と特徴を説明する。古くから、人が乗るほか、荷物の運搬や農耕などに重宝されてきたという。
トカラ馬は、在来馬の中でも最小クラスで体高約120センチ。暑さに強く、サトウキビ搾りなどに使われていた。木曽馬は、長野、岐阜両県がふるさとで、木曽義仲が乗ったと伝えられ、国内で数万頭が飼われていた時代もあったという。
しかし、明治時代に入ってからは、軍事用に体格を大きくしようと外国馬との掛け合わせが進められ、急速に雑種化。1900年代初頭には、国内にいた約150万頭のうち約9割が在来馬だったが、満州事変(1931年)の直後には、逆に雑種が9割超になった。戦後になると、その役割が自動車や農機に完全に取って代わられ、在来馬の種類の中には絶滅するものも出てきた。
同協会の統計によると、現在残る在来馬は8種約2000頭。民間の保存団体や大学などが飼育しているが、減少傾向が続いている。
同園でも在来馬を飼っていたが、より見栄えが良いとの理由から、74年からは、輸入されたポニーを飼うようになった。小宮輝之園長は、「貴重だという認識が足りず、全国の動物園から在来馬を減らすきっかけを作ってしまった」と、反省を交えて語る。
同園では、トカラ馬と木曽馬を、来園者が触れ合える西園こども動物園で飼育する予定。「まずは我々が在来馬の飼育を再開することで、再評価する機運が高まり、他の動物園などでも多く飼われるようになれば」と、小宮園長は話している。
(2007年8月14日14時33分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070814i206.htm
馬と言えば時代劇だが、時代劇を観ながら戦国時代や江戸時代にあんなすらっとした馬がいた筈はないと文句をいう人というのもけっこういるのではないかと思う。だから、「在来馬」の保護には映画会社やTV局も資金を提供すべきだろう。あと、外来種との雑種化によって昔とは姿形がかなり変わっているのではないかと思う身近な動物は猫。
そういえば、中国映画における犬について突っ込みを入れたことを思い出した*1。