先ず理解の理解を

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070730/p1
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070729/p1


先ず理解(understanding)についての解釈学的省察が肝要かと思う。理解するとはいったい如何なる事態なのか。理解の複数性――理解は常にunderstandingsとして存在する、云々。ただ、ここでは(また世間における実際の用法として)、知的な振る舞いとしての理解と道徳的な承認とが分かち難く結びついているようだ。
ところで、肯定的にせよ否定的にせよ、私たちは「オタク」という言葉をお気軽に(熟慮なしに)使っているが、(外部から見てさえ)実際内部では「オタク」と一括りにするのが困難なくらい多様な「オタク」であるのに、「オタク」自身が「オタク」という一般項にアイデンティファイして、想像の共同体をさえ構成しているのは、或る意味で不可解でもある。http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070730/p1に「オタク」が非「オタク」(その他の趣味)から自らを差異化する身振りを読むことができる。