裁判員制度

2009年から開始されるらしい裁判員制度*1だが、不確定な情報ではあるが、その決定方式が全員一致ではなく多数決になるらしい。その理由は合議時間の節約のため。
実際には、合議を打ち切って採決を開始する議長(司会者?)の権能が問題になるだろう。合議を打ち切るという決定は議長が独断で下せるのか。それとも多数決によるのか、全員一致でなければいけないのか。このような問題があり、また伝え聞く理由を信じれば、それは碌なものではないともいえるのだが、多数決そのものは悪くはないと思う。理由を一つ述べれば、全員一致の決定には抗しがたく、さらにその場合、決定が社会的に構成されたものであるということが忘却・隠蔽され、自然化されることがより容易に起こるだろうが、多数決の場合だと、異論(少数意見)が存在するという事実は打ち消し難く、決定が社会的に構成されたものであるということはより明らかになるだろうということだ。
因みに、スコットランド陪審員制でも多数決が採用されている*2
日弁連の説明では、裁判員制度によって「法律の専門家ではない人たちの感覚や社会常識が、裁判の内容に反映され、その結果、裁判が身近でわかりやすいものとなり、一般市民の司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています」ということだ。ところで、裁判というのは事実の認定(刑事裁判の場合だと、有罪か無罪か*3)と認定された事実に対しての法の適用(量刑)から成っていると思う。前者に関して、裁判官の方が能力が高いとは考えられない。医療過誤裁判を考えてみても、司法試験に医学や薬学という科目があるわけではないのだ。結局、裁判官もひとりの素人として、専門家の証言等々を参照して判断を下している。それならば、ランダムに選ばれた一般人が事実を認定した方が常識的により納得できる決定を期待できる。しかし、量刑だと話が違う。法律に関する素人と玄人のギャップ、(理論的・実践的)知識の圧倒的な不均衡というのは解消されない*4。その結果、予想されるのは、玄人が素人を丸め込む、或いは逆に玄人側が素人側の感情*5に迎合してしまうということか。何れにしても、制度上、司法というローカルな決定ということ以上にcommonsenseによる支持というお墨付きが与えられてしまうことになる。

*1:Cf. http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/citizen_judge.html

*2:井上正仁「刑事裁判手続への国民参加の諸形態」http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai45/pdfs/45inoue.pdf また、http://homepage3.nifty.com/munemune/data/020915.htmを参照。

*3:スコットランドの場合だと、さらに「証明なし」という選択肢がある。

*4:そんな簡単に解消されてしまったら、法律家というプロフェッションは要らないということになるのでは?

*5:例えば、悪人をとっとと吊せとか。