電磁波は魂に及ばざりき

承前*1

「求刑」に続いて「判決」。
毎日新聞』の記事;


<淡路島5人殺害>42歳男に死刑判決 神戸地裁

毎日新聞 3/22(水) 16:36配信


 兵庫県洲本市(淡路島)の民家で2015年3月、50〜80代の男女5人を刺殺したとして殺人罪などに問われた近所の無職、平野達彦被告(42)の裁判員裁判で、神戸地裁は22日、求刑通り死刑判決を言い渡した。長井秀典裁判長は「全く落ち度のない5人の命を奪った結果は重大。殺害行為に精神障害は大きな影響を与えていない」と刑事責任能力を認めた。弁護側は即日控訴した。

 平野被告には精神障害による入通院歴や措置入院歴があり、公判では「工作員に電磁波で操られていた」などとして起訴内容を否認。責任能力の有無と程度が争点だった。平野被告には過去の向精神薬大量摂取による薬剤性の精神障害があり、弁護側は事件時は刑事責任を問えない心神喪失か、軽減できる心神耗弱の状態だったと訴えていた。

 長井裁判長は「『被害者は工作員で、自分への攻撃に対する報復』との動機は、妄想を前提とするものだ」としたうえで、「被告の犯行前後の行動は合理的で一貫していた」と指摘。被害者の就寝時間を狙ったことや、犯行時にハンドタオルを落として被害者の注意をそらしたこと、逮捕時に「弁護士が来るまで答えない」と話したことなどを列挙し、「計画性があり、殺害を決意し実行した行動に病気は大きな影響を与えていない」と断じた。

 死刑選択については「動機は身勝手で全く反省していない。犯行態様の悪質さからも死刑回避の事情は見当たらない」と説明した。

 判決によると、平野被告は15年3月9日午前4時ごろ、同市中川原町中川原の自宅近くに住む平野毅(たけし)さん(当時82歳)宅で、毅さんと妻恒子(つねこ)さん(同79歳)の胸などをサバイバルナイフで複数回刺して殺害。約3時間後、近くの平野浩之さん(同62歳)宅で浩之さんと妻方子(まさこ)さん(同59歳)、母静子さん(同84歳)も同様に殺害した。【井上卓也、神足俊輔】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000050-mai-soci

以下の記事では、「責任能力」の問題が提示され、被害者遺族のコメントが示されている;

<淡路島5人殺害>裁判員、判断負担重く 死刑判決

毎日新聞 3/22(水) 22:50配信


 兵庫県洲本市(淡路島)の2家族5人を殺害したとして平野達彦被告(42)に死刑判決が言い渡された22日の神戸地裁での裁判員裁判。平野被告は公判で不可解な言動を繰り返し、謝罪の言葉はなかった。精神障害を巡る責任能力について裁判員は困難な判断を迫られ、遺族は「ただただむなしい」とやるせない思いをコメントで寄せた。【神足俊輔、井上卓也

 ◇精神障害と「責任」巡り

 裁判では、責任能力の有無と程度が最大の争点だった。精神障害を巡る事件では、障害の概念を理解し事件との関連性を見分けることが裁判員に求められ、専門家の間には市民である裁判員に高度な判断を強いる現行制度を疑問視する声がある。

 今回の事件で地裁は「障害の影響はほとんどなかった」と結論付けたが、公判で平野被告は常識では理解できない不可解な言動を繰り返した。昭和大の岩波明教授(精神医学)は「裁判官でも難しい責任能力の判断を一般の人に任せるのは無理がある」といい、責任能力を争う事件を裁判員裁判の対象から外す議論も必要だと考えている。

 心神喪失医療観察法は、重大事件を起こした心神喪失者の処遇を裁判官と精神科医が合議で判断するよう求めているが、あくまでも不起訴か無罪確定を前提としている。岩波教授は「精神障害と犯行との関連が明らかな場合は同法が適用され、明らかでない場合は刑事裁判に回っている」とし、判断が難しい事件が裁判員に委ねられる現状を指摘する。

 一方、神戸学院大の内田博文教授(刑事法)は「精神障害者は『人格が危険』と判断されがちで、量刑が重くなる例が多い」と分析。今回の判決でも犯行動機は妄想が前提にあったと認めたが、殺害行為は正常な心理によるとし、「結果の重大性」が重視された。内田教授は「こうした運用が続くと、『精神障害があるがゆえに減軽される』という従来の責任能力規定の廃止という議論にもつながりかねない」と懸念している。

 岩波教授は司法と医療の連携の不十分さも指摘する。心神喪失医療観察法は重大な他害行為をした精神障害者への医療提供と社会復帰を促す制度だが、「司法と医療の縦割りは変わっていない」と嘆く。平野被告への治療は事件の約8カ月前に途絶え、県と県警との情報共有に不備があったと指摘されている。岩波教授は「精神医療の人員は全く不足している。司法ともしっかり連携しないと、同種事案は何回も起こる」と訴えている。

 ◇「言い分は空っぽ」遺族

 平野被告は黒いスーツにグレーのシャツを着て入廷。長井秀典裁判長が「判決の主文は後に回します」と述べて極刑が予想されたが、動じる様子はなかった。死刑を言い渡された瞬間も、真っすぐに立って身じろぐことはなかった。

 判決を受け、犠牲になった2家族5人の遺族が代理人を通じてコメントを発表した。平野浩之さん(当時62歳)一家の遺族は「法廷での被告の言い分は、全く空っぽにしか思えなかった」とし、「なぜ大切な家族の命が奪われたのか、今でも理解できない」と胸中を明かした。

 平野毅さん(同82歳)夫婦の遺族も「被告は理解に苦しむような主張を一方的に繰り返すのみで、聞いているだけでも苦痛だった」とつづった。また、医療機関や警察などの連携不備が事件の要因の一つと指摘し、「今回を契機に連携の構築を検討してほしい」と要望した。

 閉廷後に記者会見した裁判員2人は、争点となった責任能力の判断の難しさを語った。30代の男性会社員は「悩んだが議論する中で考えがまとまった」と述べ、会社役員の男性(53)は「精神鑑定医は2人だったが、もっと増やした方がよいのでは」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000125-mai-soci

以前に述べた論点に付け加えることは殆どないのだが。
「裁判官でも難しい責任能力の判断を一般の人に任せるのは無理がある」というのはどうかな? 逆に、「責任能力の判断」の能力においては「裁判官」に特権性はありえないと思う。何故かといえば、「責任能力」というのは法律問題ではなく哲学的な問題だからだ。「裁判官」が「裁判員」(市井人)よりも哲学的思考において優れているという根拠はない。まあ、学問としての哲学は(常識的判断を遂行する)市井人が「責任能力」を「判断」できるということを前提としている。専門の哲学者の仕事は市井人の「判断」を形式化して整理することだろうし、「判断」の判断というか、市井人の「判断」の成り立ちというか(盲点としての)「判断」することそれ自体を超越論的に問うということだろう。
何か重要な論点を言い落している気がする。