龍と矢

『毎日』の記事;


<大御神火祭>祭事の矢、額直撃 見物の女性けが 新潟
毎日新聞 6月21日(日)21時23分配信


 21日午後1時45分ごろ、新潟県長岡市蓬平(よもぎひら)町の高龍(こうりゅう)神社であった祭事「大御神火祭」で、上空に向けて射た後に落ちてきた矢(長さ約1メートル、直径約1センチ)が、見物に来ていた市内の女性(47)の額に当たった。矢尻が付いておらず、女性は額に擦り傷を負った。

 長岡署などによると、神火祭で射られた矢は取ると御利益があるとされ、約200人が参加。計6本の矢が上空に放たれたが、他にけが人はいなかった。【南茂芽育】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150621-00000040-mai-soci

長岡市観光企画課によると、「高龍神社」は、

商売繁盛の神様として、県内からそして全国各地から参拝者が絶えない神社です。太田川の上流で三方を山に囲まれた美しい地に建ち、神秘的なムードが漂っています。
 ここに来て、まず圧倒されるのが118段の石段。この石段を必死に上ると、小じんまりとした境内が現われます。
 高龍神社の歴史は大正中期からと比較的新しいけれど、信仰の歴史は古いとか。今から約600年前に、南朝の武将高野木(コウノギ)民部永張が戦いに敗れて都を落ち、会津に向かう途中で、龍神の住むという蓬平(ヨモギヒラ)に居着いたという言い伝えがあります。村人たちは何百年もの間、この高龍神社伝説を信仰してきたのだそうです。
 高龍神社と言えば有名なのが白蛇ですが、これは御神体である龍の使い。龍を祭っている奥の院と神社の中間点にある院には、実際に白蛇がいるといいます。蛇は執念深い動物と言われているから、商売もこの蛇にあやかって粘り強くやれば成功するというわけでしょうか。
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/jinjya/kouryuu.html
また、『ようこそ蓬平温泉へ』というサイトに曰く、

龍神


商売繁盛と家内安全を願い、新潟県内はもとより、全国からの参拝者も多い。
その歴史は約600年前に遡る。
明徳元年(1390年)、楠正成の御子・正行の弟・正儀朝臣の家臣高野木民部永張が会津へ赴く途中に重傷を負い、激痛のなかで、高龍大神が現われ『瀬戸泉水三渓水合流地点に患部を浸らせよ』と告げられる。
療浴専心しわずか数日で快癒した。以後、この地の村里人達により、神霊の霊地として高龍神社が祭られた。
http://yomogihira-spa.jp/modules/contents1/content/index.php?id=6

南北朝時代と大正時代のギャップが埋まらないのだが、それは措いておいて、ひとつには温泉の起源伝説という側面があるわけだ。あと、「龍神」(龍王*1というと、どうしても水とか雨を連想するけれど、それとともに空(ソラ)との関係、矢或いは飛び道具との関係を忘れてはいけないだろう。例えば埼玉県秩父市吉田の椋神社などで見られる〈農民のロケット〉は「龍勢」と呼ぶのだった*2