http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060831/1156995182#c1157111221で、「ジャンク」さんの仰有った「小泉政治の被害者が小泉政治の支持者となったかの矛盾」ですけれど、「環境管理型権力」みたいな新しい概念を持ち出さなくても、フロイト(ラカン)で十分だったりして? 例えば、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060830/1156904686でも引用しておいた田島正樹さんのhttp://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50279386.htmlとか。ご本人とラカンとの関係は明らかではありませんが。ともかく、ル・サンボリックの後退とリマジネールの前面化ということでしょうか。
勿論、「環境管理型権力」というのも重要だとは思いますが。それを〈アーキテクチャーによる支配〉と読み替えると、岡本裕一朗さんのいう「リベラルな優生学」ということ*1とも関係があるかと思いますし。
ところで、東さんの「動物化」ですけど、これと90年代以降の〈マインド・コントロール〉言説の氾濫というのは関係あり?