遊佐未森、好きではありますが、何か

遊佐未森といいGLASS VALLEYといい、オタクを引きつける因子を持った旋律でもあるんですかね? 私もたまたま深夜番組で『瓦礫の詩人』のPVを見てハマリました」*1

また、「「ゲド戦記」でゲドのパートナーとなる小動物(ナウシカのテトのモデル?)が「オタク」といいますが、まさか関係ないでしょうね。オタクのたしなみとして「指輪」「ナルニア」「ゲド」完読、「Wizardry」は第一作、それもApple版に限るとか、音楽は谷山浩子、後に沢田聖子遊佐未森、アイドルは原田知世萌えっていうのが80年代仕様でしょうか。あとアニメ雑誌に長文投稿したりANNのハガキ職人を目指すというのも」*2


最近、このように遊佐未森と「オタク」との結びつきを語った言葉を読んだ。そうだったんだ、知らなかった。そもそも「オタク」(或いは「ヲタク」)のコノーテーションも時間とともに変化はしているわけだろうが。「オタク」ということで、私が思い浮かべるのは、antonioさんが「当時のオタクに共通するのは、「宇宙戦艦大和」ネタや「ガンダム」ネタのギャグを連発し、吾妻ひでおを崇拝、SFはハインラインなんかを読み、「デューン」を絶賛していたりする」*3と述べているような人物像だ。あと、付け加えれば、『OUT』という雑誌、それから〈ペリー・ローダン〉シリーズ。しかし、その頃は「オタク」という言葉はなかった。ところで、「オタク」というと今も昔も結びつけられるアニメというものには(昔から)殆ど興味がなく、殆ど教養はない。なので、自分は「オタク」というのとは殆ど関係のない人間だと思っていた。それが「遊佐未森」という人名によって結びついてしまい、それで吃驚したわけだ。
遊佐さんですが、実はその初期の頃をリアル・タイムで知っているわけではない。勿論、シュワッツネルガーが出た日清カップヌードルのCMは知ってはいたが。それは何故かと言えば、1990年代の前半、私は殆ど音楽を聴かなかった。それも何故かと言えば、アナログ・プレイヤーの針が磨り減って、CDプレイヤーを持っていなかったからだ。さらにいえば、CDプレイヤーを買うモティヴェーションもなかった。1994年にケイト・ブッシュThe Red Shoesをリリースしたのを期にCDプレイヤーを買った次第。だから、1990年代前半の音楽については一様に記憶が薄い。遊佐未森に話を戻すと、1990年代の後半に偶々ブックオフで買って、ケイトの従姉妹のような人*4だなと思って、それ以来、気に入ってはいるという感じである。
ところで、2番目に引用した文章で挙げられている


(初期の)遊佐未森
(多分『時をかける少女』の)原田知世
ナウシカ


共通しているのは、性差がミニマムであるということ(仏蘭西語でいえば、comme des garcons?)。ミニマムな性差がイケテた、夢の遊眠社にしても、たしかに1980年代文化のひとつの側面ではあったと思う。それを賞揚した言説を発していた人としては、川本三郎とかを思い出すけれど。ただ、それが「オタク」と結びついていたとしたら、1990年代以降の「オタク」の(曖昧ではない)欲望の対象からすると、そこにはある種の断層があるのだろうと思う。
ところで、(ある人間のカテゴリーを指示する言葉としての)「オタク」が一般世間に流通し始めたのは、やはり1990年代前半ですよね。宅八郎とかを通じて。私はずっと「オタク」というのは、中高年の主婦が近所の家を指示したり、サラリー・マンが取引先を指示したりする言葉であって、自分にはあまり縁のない言葉だと思っていた。カテゴリーとしての
「オタク」という言葉を知り始めたばかりの頃、ある(当時)40代の大学の先生から、オタク、この問題についてどう思いますかと尋ねられて、it’s coming!というか、もしかしてこの先生って、例の「オタク」?と思って、どぎまぎしたのだが、この先生は「オタク」性の全くない人で、私を呼びかけた「オタク」というのも、従来的というか大人言葉としての「オタク」だった、さらにいえば(社会学者なのに)カテゴリーとしての「オタク」というのをどうも知らなかったらしいというのは後で判明。