誰のことか

2004年のエントリーだが、


マッチョな男が完全に廃れた80年代から各分野に棲息していた文系男子の、理想の最終形態の一つがフリッパーズ・ギター小沢健二小山田圭吾だった。

こういうタイプの男の子は、アートや音楽や文学周辺に昔はよくいたような気がする。小生意気で弱虫で攻撃的でナルシスト。アートや文学に秀でているかどうかは知らないが、見聞きしたのをあれこれ喋り散らかす事には人一倍秀でていた男の子達。

一つの分野だけに詳しいオタクではダメで、各分野のマニアックなポイントを押さえることを競い合っていた。情報感度と情報量が勝負なのであった。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20040911/1195965215

これを読んで、どきっとした。だって、ここに書かれていることって、そのまんま俺のことだもの。「昔」(1990年代前半)どころか、今でもそうだけれど。前後の文脈を無視すれば、大野さん、会ったこともないのに、何故俺のことを見抜いているの? という感じになる。
ただ、「フリッパーズ・ギター」についてはあまり知らない。というか、1990年代前半というのは(以前書いたかも知れないが)殆ど音楽を聴いていなかった時期なのだ。アナログ・プレイヤーの針が磨り減ったけれど、針は見つからず、それにこの時代、アナログのアルバムも既に店頭から消えていた。結局、CDプレイヤーを買ったのは1994年。
ところで、以前、内田樹氏が文体と音楽を比べていて、吉本隆明はブルースで、廣松渉ヘヴィ・メタルだとか書いていたのだが、それだったら、蓮實重彦は「渋谷系」かよと思いついたことがあった。