ジェンダー・フリーを巡って2つ

 山口智美「官製「ジェンダー」が下りてきた!:「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の定義をめぐる闘争と行政・女性学・女性運動」
 http://homepage.mac.com/tomomiyg/kanseigender.htm


取り敢えず、


この「ジェンダー」概念は日本でいつ頃、どのように広がってきたのだろうか? NWECの女性情報CASSデータベースを使って、新聞記事における「ジェンダー」という言葉の登場回数の推移を調べてみた。すると、「ジェンダー」が新聞上で急速に使われるようになったのが1995年から1998年にかけてだった。これが第一の波であり、1995年には、前述の東京女性財団報告書が出版された。同時に東京女性財団は「ジェンダーチェック」リーフレットや冊子をシリーズとして90年代後半まで数多くの学者たちと連携し、発行していった。そして、同様なプロジェクトを各地の自治体も始めていった。その後、96年には「男女共同参画ビジョン」において、「ジェンダー」という言葉が登場する。女性学においては、95年に岩波『ジェンダー社会学』本が出版され、前年94年から発行を開始した『日本のフェミニズム』シリーズも相まって、「ジェンダー」概念を解説しながら、規範文献や巨匠づくりを行っていた時期だともいえる。つまり、この時期、行政と女性学は同じ方向を向いて「ジェンダー」概念を広報していたのだ。そして、第二の波はその後 、2000年から2002年頃に表れる。この時期は、「ジェンダーフリー」関係の記事が急増した。1999年の男女共同参画社会基本法の制定、その後2000年あたりからの男女共同参画条例運動の広がりなどが大きな影響をもったと思われる。そして、行政に深く関わる女性学者や、行政出身の学者による書籍類が多く出版された。例えば、館かおる・亀田温子『学校をジェンダーフリーに』の出版は、ちょうどこの時期の2000年であった。こういった教育啓発本の出版や女性センターなどでの講座などを通して、「ジェンダー」概念が広がっていったのだ。言い換えれば、行政と女性学の一体化が、条例運動や「ジェンダーフリー」教育運動を通じて、ますます顕著になった時期ともいえる。
を抜き書き。
ただ、興味深いのは山口さんが「啓蒙」「啓発」というコミュニケーションの仕方を問題にしていることである。曰く、

個人の「意識」に焦点を当てることで、日本の行政が大好きな、市民の啓蒙に仕立てることができたのだ。 そして「お勉強しなければわからない概念」であり、意識啓発が目的の「ジェンダーフリー」が生まれた。この概念が、東京女性財団や国立女性教育会館などでの行政講座などを通じて、中央から地方へ、官から民へと広められていったのである。

おそらく、行政は制度や実践を変えるよりも、「意識啓発」や「啓蒙」が安全で簡単だと考えたのではないだろうか。行政として具体的に取り組むべき問題よりも、市民ひとりひとりの心のありかたに責任を転嫁しているとも言え、行政のするべき仕事としては本末顛倒である。そして、実は現在「バックラッシュ」の中心になっている、宗教右翼といわれる勢力が一番嫌うところが、信教の自由とも絡んでくる意識啓発だったという皮肉な状況が生じているのだ。

山口さんの論によれば、昨今のバッシングは〈リスク回避〉の予期せざる結果ということになる。
また、gender-freeという言葉(英語)については、fenestraeさん*1EU及び英国に関して、その用法を精査している。要約してみると、あくまでも労働に於ける「職務評価」や軍隊の訓練といった事柄を具体的に限定する形容詞として使用されているということだろうか。曰く、

簡単に言っておくと、私は「ジェンダー・フリー gender-free」の表現に一定の有効性を認めていいと思うが、日本語で使われている「ジェンダーフリー」の用法にいちばん違和感を感じるのは、セマンティックな問題以前に、この語が、シンタックスの中で、形容詞的概念としてでなく名詞的概念として用いられていることである。形容語はそれが適用される範囲を名詞によって限定されるが、抽象名詞は幽霊のような観念となってひとり歩ききする傾向がある。そこで大きな混乱を来しているように見える。