カルチュラル・スタディーズ・フォーラム3月例会

千葉さんからのお知らせ。
今回も日程が合わず、参加はできないのだが、とても面白そう;


カルチュラル・スタディーズ・フォーラム3月例会の
お知らせをお届け致します。

日時 3月28日(火) 16時〜
会場 武蔵大学7号館3階 社会学部実習室3
  最寄り駅西武池袋線江古田駅西武有楽町線新桜台駅、地下鉄大江戸線
  新江古田駅 (詳細は〈http://www.musashi.ac.jp/03-02.html〉をご参照下さ
い) 


報告者 高原幸子中京大学非常勤講師)
報告題目 『フェミニズム・アートとシュルレアリスム富山妙子やなぎみわの交
差地点から』
ディスカッサント 千葉慶(千葉大学非常勤講師)

(報告趣旨)
 1930年代大戦間期において勃興したシュルレアリスムは、アレントの述べるような
暗い時代を駆け抜けていきながら、現況の戦争状態にも敷衍できるような共時の感覚
を持っている。
 もしも、個人史としての一本の糸を辿るような作業をするのなら、従軍慰安婦、7
31部隊といった政治的主題と戦争の傷痕に触れ続ける富山妙子と、消費の渦に記号
と化す身体、老いた世界の夢に没入する若い女性、甘い夢と狂気が溶け込む寓話に入
り込む老女と少女のように、女性をテーマにし続けてきたやなぎみわという二人は、
シュルレアリスムの世界の中で交差するであろう。
 文化人類学と比類されるような手法として、例えば炭鉱に入って、政治犯に付き
添って、また若い女性たちとの長い話し合いを重ねることで、決してラポールといっ
た親和的関係を築きながら客体化するということに吸収されてはいかない、ある世界
と別の世界とをつなげる蝶番を持っていると喚起される。
 フェミニズムがマスキュランな戦闘性を持たず、自己の迷宮に入り込み、逃げ込む
ような退路をも絶ったまま近代の機構・規範に対峙しようとするのなら、それはわた
しの物語と(現実か超現実か見まがうまでの、しかし普遍をも兼ねる)寓話とをつな
げる、シュルレアリスムの世界をそのまま保持し続けながらでしかないのではない
か。

〔参考文献〕
アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言/溶ける魚』巖谷國士訳、1992岩波文庫
グザヴィエル・ゴーチエ『シュルレアリスムと性』三好郁朗訳、2005平凡社
ヴァルター・ベンヤミンシュルレアリスム」、「複製技術時代の芸術作品」『ベン
ヤミンコレクション①近代の意味』久保哲司訳、1995ちくま学芸文庫
塩見牟枝子『フルクサスとは何か』2005フィルムアート社
服部正アウトサイダー・アート』2003光文社新書
北原恵『アート・アクティヴィズム』1999インパクト出版会
鶴見俊輔『限界芸術論』1999ちくま学芸文庫
中沢新一『はじまりのレーニン』2005岩波現代文庫
ドゥルシラ・コーネル『女たちの絆』岡野八代・牟田和恵訳2005みすず書房
ドゥルシラ・コーネル『イマジナリーな領域』仲正昌樹監訳2006御茶の水書房
トリン・T・ミンハ『月が赤く満ちる時』小林富久子訳1996みすず書房
Judith Butler Giving an Account of Oneself 2005 Fordham
Judith Butler Precarious Life 2004 VERSO
Judith Butler Undoing Gender 2004 Routledge