「唐手」から「空手」


沖縄人と「空手」のアソシエーション、この23年という日付は実はタイムリーなのかもしれませんね。日本本土への普及の先駆者船越義珍が上京し文部省主催の古武道体育展覧会で「唐手」実演を行い、普及活動を開始したのが1922年、段位を発行しはじめるのや、慶応大学に唐手研究会のできるのが24年。
http://www.shotokai.jp/japanese/about/teacher.html 
1923年というのは東京で、新奇さによって唐手ブームが起こっていた可能性があります(同サイトの書籍紹介のところで22年、23年と続けて手引書が出版されているのがわかります。)
この情報を背景にすると、問題のセリフは、「沖縄人なら例の唐手とかいうやつを知っているかも...」というニュアンスを伴ったものとして逆にそのリアリティが感じられてきます。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060310/1141958983#c1141972834
fenestraeさん*1、コメントありがとうございました。お書きになっていることは村井さんのテクスト(p.92)と符合します。
村井さん曰く、「凡そ一九三五年前後から、従来の“唐手”という文字表記が“空手”へと改められていく。そこには唐手(空手)の起源をめぐる象徴政治が見てとれる」(ibid.)。「唐手」から「空手」へというのは、何よりもその異郷性=中国性の否認であるわけですが、1920年代にはエクゾティックなものとして受容された筈の「唐手」が10年くらいの間に、中国性は勿論のこと、沖縄性も払拭されて、日本化された「空手」となったということになります。
ところで、船越義珍はそもそも富名腰義珍であり、船越への改姓は戦後だということですが、この沖縄性の隠蔽が戦前ではなく戦後に行われたのかも興味深い。