「せい」か「さい」か問題

承前*1

ハフポスト日本版編集部「「『かんせい』やで!」日大アメフト部・内田正人監督の読み間違いに関西人が総ツッコミ」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/19/kwanseigakuin_a_23438526/


曰く、


アメリカンフットボールの試合で、日本大学の選手が危険なタックルをするなど反則行為によって関西学院大の選手を負傷させた問題。5月19日に辞意を表明した日大の内田正人監督に対し、「相手校の読み方が間違えている」と批判する声がSNS上であがっている。

内田監督は辞意を表明したマスコミ各社の囲み取材で「関西学院」を「かんさいがくいん」と何度も発言していたためだ。

所謂呉音/漢音問題*2ですね。
関西学院大学入試課曰く、

関西学院大学は、「かんせい」学院大学と読みます。どうして、このような読み方になっているのでしょうか。
関学が設立されたのは1889年。明治22年の日本では、東京を「とうけい」というように漢音読みにすることが多かったようです。ですから当時は「関西」も「かんせい」と読んでおり、関学の校名もそのままの読み方でつけられました。校名からも118年をかぞえる関学の長い歴史が感じられます。
ちなみに発音は「くわんせい」となり、関学の英文表記も「KWANSEI GAKUIN」となります。
https://www.kwansei.ac.jp/admissions/news/2007/news_20070420_000508.html
たしかに、明治の数年間、「東京」が「とうけい」と念まれていたことがあることは知っていたのだが。私が聞いていたのは別の話で、呉音は仏教と関係しているという印象が強く、基督教系の関西学院としては、呉音の抹香臭さを嫌って、漢音の「せい」を選んだというもの。また、「関」を「くわん」と発音することは何時の間にか衰退してしまった。しかし、関西学院が KWANSEI GAKUINという羅馬字表記をしたおかげで、明治の中頃には少なくとも或る程度以上の教養をもった日本人は、「関」を「くわん」と発音していたという歴史的事実が保存されたわけだ。
因みに、菅直人氏がまだ政権を握っていた時代、一部の「小沢信者」が菅氏のことを在日認定したことがあった*3。そのことに因んで、

「小沢信者」(の一部)が菅直人を韓国人呼ばわりしたという。「巷の声だが、カンはもとからの姓ではなく、半島のカンで、改姓したのだと」。漢和辞典を捲ればわかるように、菅という字の本来の読み方はカンではなくクワン。戦前の教育を受けた人から見れば、菅をカンと読んだ時点で、無教養な田吾作ということになるのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101123/1290524332
と書いたことがあったのだった。
それはともかくとして、「「関西大学」は「かんさい」、「関西学院大」は「かんせい」と読むのは関西在住経験者には常識レベルで知られている」。因みに、私は関西に住んだことはない。

月ではなく朝

朝丘雪路*1月丘夢路*2を混同してしまうことは屡々ある。
NHKの報道;


朝丘雪路さん 死去
5月20日 6時43分


映画や舞台、テレビ番組の司会など幅広い分野で活躍し、日本舞踊の家元も務めてきた俳優の朝丘雪路さんが亡くなりました。82歳でした。

朝丘さんは、日本画家の伊東深水の娘として昭和10年に東京で生まれ、昭和26年に宝塚音楽学校に入学して歌や踊りを学びました。

昭和27年に初舞台、昭和30年に映画デビューを果たし、シリアスな作品からコメディーまで幅広い役柄を演じ、NHKの連続テレビ小説ええにょぼ」や「風のハルカ」などにも出演しました。

また、東京や大阪の舞台で数多くの座長公演を務め、平成15年には舞台「人生ふたりづれ」で質の高い歌と踊りが評価され、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれました。朝丘さんは、3歳から習い始めたという日本舞踊でもその道を究め、現代的な感覚を取り入れた「深水流」を昭和60年に創設して家元を務めてきました。

このほか、ジャズ歌手としての活動や、歌謡曲やバラエティー番組でも司会を務めるなど、幅広く活躍して人気を集め、平成23年には旭日小綬章を受章しています。夫は俳優の津川雅彦さんです。

朝丘さんは、アルツハイマー認知症のため自宅で療養していましたが、先月27日、亡くなったということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180520/k10011445731000.html

朝日新聞』;

朝丘雪路さん死去 俳優、歌手と多彩 「11PM」出演
2018年5月20日00時55分


 俳優や舞踊家、歌手として多彩に活躍した朝丘雪路(あさおか・ゆきじ、本名加藤雪江〈かとう・ゆきえ〉)さんが4月27日、死去した。アルツハイマー認知症だったという。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。夫は俳優の津川雅彦さん。

 東京都出身。51年に宝塚音楽学校に入学。その後、歌劇団に入団し、娘役として活躍した。55年に退団して以降、映画や演劇で活躍した。出演作には、高畑勲監督の「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」、NHK朝の連続テレビ小説ええにょぼ」などがある。

 57年に「星は流れる」でNHK紅白歌合戦に初出場。テレビ番組「11PM」で大橋巨泉さんと司会を務め、人気を集めた。03年に文化庁芸術選奨文部科学大臣賞、11年に旭日小綬章を受けた。父は日本画家の伊東深水さん、娘は俳優の真由子さん。
https://www.asahi.com/articles/ASL5N03NYL5MUCVL010.html

また、『デイリースポーツ』;

津川無念、朝丘さん臨終に間に合わず
5/20(日) 8:38配信 デイリースポーツ


 俳優、歌手、舞踊家とマルチに活躍した朝丘雪路(あさおか・ゆきじ、本名加藤雪江=かとう・ゆきえ)さんが4月27日に死去していたことが19日、分かった。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。死因は不明。アルツハイマー認知症のため療養していた。

 所属事務所関係者によると、朝丘さんは別居していた夫で俳優の津川雅彦(78)と3年半ほど前から再び一緒に暮らすようになっていた。津川は家事を手伝ってくれていた女性とともに朝丘さんを介護していた。

 朝丘さんは、亡くなる前々日の4月25日までは食事も普段通り食べており、体調に大きな変化は無かったという。前日の26日には食欲が少し減っていたが、やはり大きな変化は無かった。亡くなった27日の朝も普段と変わらぬ様子だったが、その後、高熱が出るなど容体が急変した。

 津川はいったんは仕事に向かうため家を出たが、途中で女性からの知らせを受けた。女性にかかりつけの医師と娘で女優の真由子(44)を呼ぶよう指示。自身も急いで自宅に引き返したが、家に着いた時にはすでに朝丘さんは息を引き取っていたという。真由子も、臨終には立ち合えなかった。

 通夜・葬儀は家族葬で営まれ、すでに納骨を済ませた。津川は過去にテレビのトーク番組で18回の入院と13回の手術を繰り返していたことを語るなど、自身が病気がちだっただけに、妻に先立たれたことにショックを受けているという。ただ、真由子に朝丘さんの介護を任せずに、自身で送り出すことができたことについては胸をなで下ろしているという。

 津川と朝丘さんはおしどり夫婦として知られていたが、2008年、津川が玩具事業で6億円もの負債を抱え、その返済のために、世田谷の朝丘名義の自宅を売却したことをきっかけに別居した。月に何度かは食事をするなど、“卒婚”の形となっていたが、朝丘さんの体調などを考慮し再び一緒に暮らしていたという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180520-00000037-dal-ent

長男そして次男

承前*1

西城秀樹が『寺内貫太郎一家*2に出ていたことは全然言及していなかった(汗)。
サンケイスポーツ』の記事;


寺内貫太郎一家、悲しみの声…小林亜星「全く世の中どうかしてる」
5/18(金) 7:00配信 サンケイスポーツ


 歌手、西城秀樹さん(享年63)の訃報が流れた17日、芸能界は悲しみに暮れた。1974年に放送され人気を博したTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」で秀樹さんと共演した作曲家の小林亜星(85)は書面でコメントを寄せ、「歌い手として素晴らしい人だった事は勿論ですが、彼はミュージシャンとしても特別な凄みを持ったトップアーティストだったと思います」と賛辞を送った。

 亜星は秀樹さん演じる長男、周平の父で主人公の貫太郎役。激しい親子げんかのシーンは有名で、秀樹さんは本当に右腕を複雑骨折し、ギプス姿で出演したこともあった。「こんな素晴らしい人が先に亡くなって、僕みたいな奴が長生きしてるなんて全く世の中どうかしてる」と文面に悔しさをにじませた。

 また、寺内家のお手伝いさん、相馬ミヨコ役の浅田美代子(62)もファクスで「早すぎる…まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。たくさんの思い出の中のあなたは、いつもいつも優しさに溢れていました。幼い子供達を残し、どれだけ無念だったことでしょう。あなたの最期まで頑張っていた姿を決して忘れません」と若き日をともにした仲間の急逝をしのんだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180518-00000001-sanspo-ent&pos=1

西城秀樹って次男じゃなかったっけと思ったのだけど、それは1975年に放映された『寺内貫太郎一家2』だったのだ。『2』では、長女は梶芽衣子に代わって風吹ジュン、さらに長男は谷隼人になって、秀樹(「周平)」は次男になってしまったのだった。谷隼人はレイプ事件を起こして執行猶予判決を受けたという設定だったのだが、一時、記憶の中で、谷隼人西城秀樹が入れ替わって、現役のアイドルにレイプ犯の役を振るなんて当時としても大胆な企画だったんじゃないかと、誤った感心をしてしまったこともあった(汗)。
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ところで、小林亜星が85歳というのにも軽く吃驚。しかし、40年前に40代だったのだし、その頃10代だった俺も50代後半になっているのだから、そりゃそうだろうと思いなおした。また、妻役だった加藤治子は2015年に92歳で他界している*3

両性具有?

海亀の性別は産卵する砂の温度によって決定されるということを知ったのは、息子に『世の中のふしぎ400』という本を読んであげているときだった。


西川伸一*1「温度で性が決まる爬虫類の研究は、温暖化による爬虫類の絶滅を防げるか?」https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180518-00085329/


性別が温度によって決定される種は爬虫類には多い。特に、鰐は全ての種で性別が温度によって決定されている。地球温暖化はこれらの種に性別の偏りをもたらし、種の絶滅に追い込む危険がある。


多くの皆さんは、どうして同じ遺伝子でオスとメスができるのか不思議に思われるかもしれません。しかしよく考えてください。私たちの体の細胞は原則的に同じ遺伝子を持っています。それでも、体の中に神経細胞や血液細胞のように似ても似つかぬ細胞が共存しています。このように同じ遺伝子なのに、全く違う性質ができるメカニズムをエピジェネティックス*2と呼んでいます。これは、それぞれの遺伝子ごとにスィッチをオンにしたり、オフにするメカニズムのことで、最近急速に明らかになってきました。このスィッチには遺伝子が巻きついているヒストンというタンパク質を化学的に修飾することで行われています。温度による性決定を理解する鍵もこのエピジェネティックス機構にあります。

今日紹介したい論文は、中国の新しい大学・浙江万里学院と米国デューク大学が共同で発表した論文で、アカミミガメを用いて温度で性が決まる仕組みを報告しています。(Ge et al, The histone demethylase KDM6B regulates temperature-dependent sex determination in a turtle species(カメの温度依存的性決定はヒストン脱メチル化酵素KDM6Bにより調節されている)Science 360: 645-648, 2018: DOI: 10.1126/science.aap8328)。

この研究ではアカミミガメ(冒頭の写真に示す)と呼ばれるアメリカ原産のカメが選ばれて研究に用いられています。このカメは、発生の特定の期間に温度が26度だとオス、32度になるとメスになることがわかっています。実際に孵化するときの気温はこの間に収まりますので、温度に応じてオス・メスの比率が変わることになります。遺伝子は変化しないわけですから、この研究では温度によって変化するエピジェネティックス機構を探った結果、ヒストンの27番目のリジンのメチル基修飾を外す(脱メチル化と呼びます)分子の一つ、Kdm6bの生殖原器での発現量が、オスに性が決まってしまう温度26度で上昇することを突き止めます。逆に、同じ発生段階に温度を26度から32度にすると発現は低下します。すなわち、温度に反応してオンになったりオフになったりする分子がついに突き止められました。

本当にKdm6b がオスへの分化を指令できるのか調べる目的で、オスになる26度で卵を孵化させるとき、分子の発現を人為的に抑制すると、期待通り80−87%の個体がメスへと転換できました。詳細は省きますが、色々実験を行なった結果、Kdm6bが、ほとんどの種でオスへの性決定を決めているDmrt1遺伝子が巻きついているヒストンのメチル基修飾を外して、安定的にDmrt1遺伝子をオン状態にすることで、温度変化をオスへの性決定に結びつけることがわかりました。

遺伝子の準位では雌雄のどちらにもなれるということで両性具有といえるのかも知れない。所謂雌雄同体の場合だと、雌性と雄性が同時に発現するわけだけど*3、こちらの場合は、一旦雌雄のうちのどちらかに決定されてしまったら後戻りできないわけだ。
また、遺伝子の準位では両性具有で産卵時の温度で性別が決定される種はどうして爬虫類に集中しているのかということも気になる*4

1991年の「レイラ」

フミコフミオ「はじめてブラのホックを外した夏を覚えているかい?」http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/05/09/190000 *1


曰く、


「勉強してくる」と家族に嘘をついて家から抜け出しては仲間とそこに集まっていた。誰が言いだしたのかわからないが、その屋上は「ヘブン」と呼ばれていた。当時、僕の通っていた高校は、授業のあと、補講という名目で自由参加の受験対策をやっていて、クラスメイトの大半は教室でテキストと格闘していた。その様子をヘブンから眺めるのに飽きてしまうとカセットのウォークマンでロックを聴きながら昼寝ばかりしていた。

ガンズ。ニューオーダー。プリンス。ポリス。ストーンローゼス。ハッピーマンデーズ。ニルヴァーナ。それからレッチリ。自分で編集したマイ・ベスト・ロック・テープ。B面の最後はテープが足りなくて、後半のピアノ・パートが丸々カットされていた「いとしのレイラ」。夕方。尻切れトンボのレイラが終わると、僕は、背中とお尻の砂を払ってヘブンをあとにした。仲間たちはひとりふたり脱落していき7月の終わりには2人になってしまう。「ワイルド・バンチ」のように。

ディレクターズカット ワイルドバンチ 特別版 [DVD]

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以前にも書いたかもしれないけれど、80年代の末期から90年代前半にかけての数年間、殆ど音楽を聴いていなかった。(香港で買ったBeyondのカセットとかを除いては)新しいディスクも買わなかったし、日本語や英語の音楽雑誌も読まず、音楽に関する情報も自らシャット・アウトしていた。当時は、アナログ(ヴィニールのLP)からCDへの過渡期であって、プレイヤーの針が擦り減ったけれど何処にも新しい針は売っていなかったとか。他方で、何故かCDプレイヤーを買う気にもなれなかったとか。ともかく、この時期の音楽というのは、私の記憶においては空白なのだった。
上に挙げられているのは、1991年の洋楽好きの高校生が聴いていた音楽としてはまあ普通のものなのでしょうか。後付けの知識から推測して、「ガンズ」、「ニルヴァーナ」、「レッチリ」とかは、まあそうなんだろうな、と納得できる。ただ、その中でも異色なのはエリック・クラプトンデレク&ザ・ドミノス)の「いとしのレイラ」。これだけぼちっと70年代。今言ったように、90年代初頭の音楽事情は私にとって空白なので、もしかしてその時期にクラプトン或いは「レイラ」がメジャーなトピックとして浮上するような何かしらの事件があったのかも知れないと勘繰ってしまった。一体、どうなの?
さて、私以上の世代の日本人は、クラプトンを知らない人でも、ロックを知らない人でも、「レイラ」のリフを(曲名も知らぬまま)知っている筈だ。アートネイチャーのCMによって。
下にマークしたのは、ウィントン・マルサリスと共演した、完全にジャズ化された「レイラ」*2
Wynton Marsalis & Eric Clapton Play The Blues

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