月ではなく朝

朝丘雪路*1月丘夢路*2を混同してしまうことは屡々ある。
NHKの報道;


朝丘雪路さん 死去
5月20日 6時43分


映画や舞台、テレビ番組の司会など幅広い分野で活躍し、日本舞踊の家元も務めてきた俳優の朝丘雪路さんが亡くなりました。82歳でした。

朝丘さんは、日本画家の伊東深水の娘として昭和10年に東京で生まれ、昭和26年に宝塚音楽学校に入学して歌や踊りを学びました。

昭和27年に初舞台、昭和30年に映画デビューを果たし、シリアスな作品からコメディーまで幅広い役柄を演じ、NHKの連続テレビ小説ええにょぼ」や「風のハルカ」などにも出演しました。

また、東京や大阪の舞台で数多くの座長公演を務め、平成15年には舞台「人生ふたりづれ」で質の高い歌と踊りが評価され、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれました。朝丘さんは、3歳から習い始めたという日本舞踊でもその道を究め、現代的な感覚を取り入れた「深水流」を昭和60年に創設して家元を務めてきました。

このほか、ジャズ歌手としての活動や、歌謡曲やバラエティー番組でも司会を務めるなど、幅広く活躍して人気を集め、平成23年には旭日小綬章を受章しています。夫は俳優の津川雅彦さんです。

朝丘さんは、アルツハイマー認知症のため自宅で療養していましたが、先月27日、亡くなったということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180520/k10011445731000.html

朝日新聞』;

朝丘雪路さん死去 俳優、歌手と多彩 「11PM」出演
2018年5月20日00時55分


 俳優や舞踊家、歌手として多彩に活躍した朝丘雪路(あさおか・ゆきじ、本名加藤雪江〈かとう・ゆきえ〉)さんが4月27日、死去した。アルツハイマー認知症だったという。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。夫は俳優の津川雅彦さん。

 東京都出身。51年に宝塚音楽学校に入学。その後、歌劇団に入団し、娘役として活躍した。55年に退団して以降、映画や演劇で活躍した。出演作には、高畑勲監督の「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」、NHK朝の連続テレビ小説ええにょぼ」などがある。

 57年に「星は流れる」でNHK紅白歌合戦に初出場。テレビ番組「11PM」で大橋巨泉さんと司会を務め、人気を集めた。03年に文化庁芸術選奨文部科学大臣賞、11年に旭日小綬章を受けた。父は日本画家の伊東深水さん、娘は俳優の真由子さん。
https://www.asahi.com/articles/ASL5N03NYL5MUCVL010.html

また、『デイリースポーツ』;

津川無念、朝丘さん臨終に間に合わず
5/20(日) 8:38配信 デイリースポーツ


 俳優、歌手、舞踊家とマルチに活躍した朝丘雪路(あさおか・ゆきじ、本名加藤雪江=かとう・ゆきえ)さんが4月27日に死去していたことが19日、分かった。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。死因は不明。アルツハイマー認知症のため療養していた。

 所属事務所関係者によると、朝丘さんは別居していた夫で俳優の津川雅彦(78)と3年半ほど前から再び一緒に暮らすようになっていた。津川は家事を手伝ってくれていた女性とともに朝丘さんを介護していた。

 朝丘さんは、亡くなる前々日の4月25日までは食事も普段通り食べており、体調に大きな変化は無かったという。前日の26日には食欲が少し減っていたが、やはり大きな変化は無かった。亡くなった27日の朝も普段と変わらぬ様子だったが、その後、高熱が出るなど容体が急変した。

 津川はいったんは仕事に向かうため家を出たが、途中で女性からの知らせを受けた。女性にかかりつけの医師と娘で女優の真由子(44)を呼ぶよう指示。自身も急いで自宅に引き返したが、家に着いた時にはすでに朝丘さんは息を引き取っていたという。真由子も、臨終には立ち合えなかった。

 通夜・葬儀は家族葬で営まれ、すでに納骨を済ませた。津川は過去にテレビのトーク番組で18回の入院と13回の手術を繰り返していたことを語るなど、自身が病気がちだっただけに、妻に先立たれたことにショックを受けているという。ただ、真由子に朝丘さんの介護を任せずに、自身で送り出すことができたことについては胸をなで下ろしているという。

 津川と朝丘さんはおしどり夫婦として知られていたが、2008年、津川が玩具事業で6億円もの負債を抱え、その返済のために、世田谷の朝丘名義の自宅を売却したことをきっかけに別居した。月に何度かは食事をするなど、“卒婚”の形となっていたが、朝丘さんの体調などを考慮し再び一緒に暮らしていたという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180520-00000037-dal-ent