平和な試験

昨年の大学入試センター試験でも愛媛大学にて試験監督の先生が鼾をかくということがあった*1
朝日新聞』(『ハフィントン・ポスト』)の記事;


試験監督がいびき センター試験 「気になり実力出せず」と苦情
試験監督の大阪大教授は、いびきをともなう数秒間の居眠りを数回繰り返した。
2018年01月16日 09時00分 JST | 更新 5時間前


「いびきで実力出せず」センター試験、阪大教授が居眠り


大阪大は15日、13日にあった大学入試センター試験の会場となった豊中キャンパスで、試験監督を務めた40代の大学院高等司法研究科の教授が居眠りをし、訓告処分にしたと発表した。

阪大によると、2時間目の国語で、教授はいびきをともなう数秒間の居眠りを数回繰り返した。試験室にいた他の監督者の教員から注意され、止まったという。試験後に受験生が警備担当の職員に「いびきをかいていた」と指摘。翌14日には受験生の保護者を名乗る人から「いびきが気になり実力が出せなかった」との電話もあったという。

監督責任を問い、試験室の主任者だった産業科学研究所教授と、試験場の責任者だった大学院文学研究科の教授も厳重注意とした。西尾章治郎総長は昨年の阪大の入試ミスで本来合格の30人が不合格となっていた問題に触れ、「教員としての自覚と責任感に欠けるものであり、誠に遺憾」とのコメントを出した。
朝日新聞デジタル 2018年01月15日 21時35分)
http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/15/professor-snoozed_a_23334109/

感想は昨年のとまあ同じ。
ところで、何故試験監督の先生が鼾付きの「居眠り」を断続的にしたのか。先ず言えることは、平和で恙なく行われた試験だったということだろう。テロは勿論のこと、最近流行りの(?)爆破予告*2もなく、前の席の女の子のスカートの中を手鏡で覗き込もうとする受験生*3もいなかった。そんなことが起きたら、居眠りをする暇もなかっただろう。
まあ、いくら「厳重注意」しても、体質とかの問題もあるのだろうから、鼾や居眠りがなくなるとは限らない。じゃあどうすればいいか。先ず考えられることは、監督の先生が椅子に座ることを禁止することじゃないか。試験中はずっと立っているべし。立ったまま居眠りするというのは至難の業だ。或いは、部屋がぽかぽか暖かいと居眠りが誘発されるので、暖房を切るとか。

1001 dead

拙blogのちょっと長い休みの間に、元中日ドラゴンズ監督の星野仙一*1が他界していた。
朝日新聞』の記事;


星野仙一さんが死去 プロ野球中日・阪神楽天で監督
2018年1月6日09時33分


 プロ野球の中日、阪神楽天の元監督で、楽天球団副会長の星野仙一(ほしの・せんいち)さんが4日、死去した。70歳だった。葬儀は近親者らによる密葬で執り行い、後日、お別れの会が開かれる予定。

 楽天によると、星野さんは2016年7月に膵臓(すいぞう)がんが判明。その後も仕事を続け、昨年、野球殿堂入りを果たした。昨年11、12月に東京と大阪であった、殿堂入りを祝うパーティーには姿を見せていたが、年末になって病状が悪化したという。

 星野さんは岡山県出身。倉敷商高を卒業後、明大へ。1969年、中日にドラフト1位で入団した。投手として82年までの14年間で、通算146勝121敗34セーブ、防御率3・60の成績を残した。73年からは5年連続で2けた勝利を挙げるなど活躍し、74年には沢村賞を受賞した。

 87年から91年、96年から2001年までの2回、中日の監督を務め、1度ずつリーグ優勝を果たした。02年からは阪神の監督を2季務め、03年にチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。08年の北京五輪では、アジア地区予選から日本代表監督を務めたが、メダルを獲得できず、翌年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督は、次期候補と有力視されながら辞退した。

 11年から楽天を率いた。13年には創設9年目の球団を初の日本一に導き、自身としても監督通算16年目で初の頂点に。三原脩西本幸雄と並び、3球団でリーグ優勝を成し遂げた監督となった。計17年で通算1181勝。戦後生まれでは初の1000勝監督になった。15年からは楽天球団の副会長を務め、新人選手の獲得などに尽力した。
https://www.asahi.com/articles/AS99Y0DM099XUTQP03K.html

まあ、最近では、「星野」というと、リゾート会社だったり星野源だったりするわけだけど。ところで、改めて軽く吃驚したのは、星野氏が谷沢健一さん*2と1年しか違わないということ。谷沢さんが早稲田を経てドラゴンズに入団したのは1970年のことだった。もうちょっと上だろうと思っていたのだった。星野さんを語るには、所謂鉄拳制裁だとか乱闘に対する積極的な姿勢だとかを避けて通ることはできない。自分の子どもを殴れないようでは選手を殴れないとも言っていた。勿論、そうしたことは21世紀においては許容されないということは言うまでもない。星野さんを公に語る人は、そこら辺のことをどのように誤魔化したりするのだろうか。その気苦労は同情に値する。
上に引用した朝日の記事のオリジナルには、2016年と2017年の星野さんの写真が添えられているのだが、顔が痩せこけ、もうその頃には既に死がすぐ近くまで近寄っていたんだなと納得することができる。
See also


星野仙一死去」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180106/1515202076

タミフル明けて蕁麻疹

晦日からblogの更新が止まって、都市が改まっても半月に亙って更新していなかった。今更謹賀新年も白々しい感じだ。
新年早々に息子がインフルエンザに罹って、家族も感染しているかも知れないということで、医者から10日間のタミフルを処方された。息子は昨年末にインフルエンザの予防注射を受けていたので、症状としては軽いものだったけれど。私は彼が予防注射をした時に一緒にしようとしたのだけれど、風邪が酷くて*1、諦めた。インフルエンザが過去のものになったかと思ったら、今度は息子が全身蕁麻疹に。痒くて痒くて夜も眠れなかったというので、医者に行って、抗アレルギー剤を処方してもらう。さらに、来月初めに引越しをすることになったので、荷物をまとめ始めたということがある。まあ今回は、そんな感じでblogの更新が止まってしまったわけだ。
さて、


年初で「毎日更新はやめますが、週一ぐらいで何か書きたいと思います」などと言いつつ、講座の告知しか打たない廃墟となってしまった、当ブログであります。

思えば、ぼくがブログを始めてから12年間、こうやって消えていったブログをたくさん見送ってきたわけですが、いよいよここも墓場の仲間入りをしてしまったのだなぁと思うと、いささかの寂しさを感じなくもないわけであることですよ。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20171031 *2

何というか、夫婦(カップル)が一旦セックスレスになっちゃうと、お互いに処女や童貞に戻ってしまったみたいに照れくさくなって、やろうという一言がなかなか言えないで、セックスレスが長期化してしまうということと似ているか*3
話を戻して、「インフルエンザ」だけれど、こういうこともあるんだね;


堀米香奈子「実家を「隠れインフル」で全滅させちゃった・・・ 幼児も症状が出にくいかも!」http://www.huffingtonpost.jp/robust-health/influenza-family_a_23291236/

2ではなく1

これまで平仮名の「そ」を「ソ」+「て」のように書いていた。それで、「そ」というのは2画なんだと思っていた。最近気づいたのだけど、明朝体のフォントを見れば一目瞭然なように、少なくとも楷書では「そ」は「ソ」+「て」のようには書かず、「フ」+「て」のように1画で書くのだった。1画の平仮名は、













そういえば、まつもとさとみ『ん ひらがな大へんしん!』の中で、「ん」は「のびたり、ちぢんだり、まるまったり」(p.24)という偶々の変換によって、ほかの1画の平仮名に変わってしまうのだった。これを読んだ子どもが将来位相幾何学を学んだ時に、あの童話は要するにこういうことだったのかとくすんと思い出し笑いするのだろうか。

ん ひらがな大へんしん!

ん ひらがな大へんしん!

駒澤大学の隣の

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2013年 12月号 [雑誌]

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2013年 12月号 [雑誌]

Kana Umehara「誕生50周年の国民的名作『ぐりとぐら』の出発点は、カステラにありました。」『Casa Brutus』165、2013年12月、pp.46-51


特集「読み継ぐべき絵本の名作100」から。
中川李枝子さんへのインタヴューの部分から;


「当時、私は世田谷区のみどり保育園で働いていたんです。今の駒沢公園あたり。東京オリンピック前だから公園なんかなくて41万2300m2の広い広い原っぱがあるだけ。その片隅にある小さな保育園で私は毎日、今日は子供たちとどんな遊びをしようかと考えていたんです」
子供たちが大好きだったのは、原っぱのかけっこと本を読んでもらうことだった。
「なかでも『ちびくろ・さんぼ』はみんなが夢中になる一冊。ある日、園長先生がお話に登場するホットケーキを焼いてくれた。あのころの子供たちはホットケーキなんか知らないから大喜び。そのとき、私はホットケーキでこれだけ喜ぶなら、もっと卵をたくさん使うカステラだったら、子供たちはどれだけ驚くかしらと思いついた。とにかく、子供たちをびっくりさせて、喜んだ顔が見たい。その一心で物語を作りはじめたんです」(pp.48-49)
この話は、以前引用した福音館書店母の友編集部編『ぼくらのなまえはぐりとぐら』でも語られていたのだけれど*1
ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

ぼくらのなまえは ぐりとぐら (福音館の単行本)

ぼくらのなまえは ぐりとぐら (福音館の単行本)

さて、『ちびくろ・さんぼ』だけど、私たちの世代では、(考えてみれば当たり前だけど)トラウマという言葉よりもトラ・バターの方を先に憶えたのだった。現在30歳前後の、政治的に正しい(笑)親に育てられた人だと、『ちびくろ・さんぼ』を読んだことがないというのも少なくないのだろうか。
ちびくろ・さんぼ

ちびくろ・さんぼ

ところで、この特集には佐野研二郎氏とエリック・カール*2との対談記事がある(「佐野研二郎さん、カールさんに一問一答。」、p.45)。オリンピックのエンブレムの剽窃騒動が起こるのは次の次の年だった*3