「黄金時代」(ロアルド・ダール)

“Roald Dahl: why the 1930s were a golden age for chocolate” https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2017/mar/10/roald-dahl-why-1930s-golden-age-chocolate


1996年に出たThe Roald Dahl Cookbookからの抜粋*1
ロアルド・ダール*2によると、1930年代は「チョコレートの黄金時代」。現在でも愛されている英米のチョコレートのブランドは大体この時代に登場した。例えば、キット・カットは1937年。


So there you have it. In music, the equivalent would be the golden age of Bach, Mozart and Beethoven. In painting, it was the equivalent of the Italian Renaissance and the advent of Impressionism at the end of the 19th century; in literature, Tolstoy, Balzac and Dickens.
だって。
そういえば、ダールはティム・バートンの『チャーリーとチョコレート工場*3の原作者だった*4
チャーリーとチョコレート工場 [DVD]

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ところで、ダールにとってはチョコレート=チョコ・バーであるかのようだ。上掲の文章で語られる「チョコレート」はどれも「バー」である。何だかジバニャンみたいな奴だな。自分にとってチョコレートといえばやはり板チョコだぜという人、或いは何といってもマーブル! という人はやはり別の〈チョコレート史〉を求めなければならないだろう。

「無期懲役を求刑」

承前*1

タリウム娘」裁判。検察側の「論告求刑」。
朝日新聞』の記事;


元少女無期懲役を求刑 タリウム事件の裁判員裁判

2017年3月10日14時26分


 名古屋市のアパートで森外茂子(ともこ)さん(当時77)を殺害したほか、高校時代には同級生2人に硫酸タリウムを飲ませるなどしたとして、殺人や殺人未遂など七つの罪に問われた元少女(21)の裁判員裁判の論告求刑公判が10日、名古屋地裁であった。検察側は「2年半の間に6人の被害者に残虐な犯行を繰り返した。生涯にわたって償うことが必要」として無期懲役を求刑した。判決言い渡しは24日の予定。

 検察側の論告などによると、元少女は16歳の高校2年生だった12年5〜7月、中学時代の同級生女性(21)と、高校の同級生男性(21)の飲み物にタリウムを混入して飲ませ、殺害しようとしたほか、19歳の大学1年生だった14年12月には森さんを殺害。また同月には仙台市内の民家に火を付けて住人3人を殺害しようとしたとされる。

 争点の一つは、元少女の刑事責任能力の有無で、検察側は「精神障害の影響は限定的で完全責任能力があった」、弁護側は「発達障害精神障害の躁(そう)状態が重なり、犯行に影響を与えた。責任能力がなく無罪」とそれぞれ主張している。

 また、元少女タリウム事件について「観察目的だった」と供述し、殺意を否認している。
http://www.asahi.com/articles/ASK3967CDK39OIPE020.html

また、

人を殺さない自分になれるのか…タリウム事件の元少女

2017年3月10日21時59分


 名古屋市のアパートで森外茂子(ともこ)さん(当時77)を殺害し、高校時代には同級生2人に硫酸タリウムを飲ませるなどしたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた元少女(21)の裁判員裁判の論告求刑公判が10日、名古屋地裁であった。

 検察側は「犯行は計画的で残虐。生涯にわたって罪を償うことが必要だ」と述べ、無期懲役を求刑。弁護側は最終弁論で「死に興味が限局する発達障害や、双極性障害の躁(そう)状態によって行動の抑制力を失っていた」として無罪を訴えた。

 元少女は高校2年生だった2012年5〜7月、中学時代の同級生女性(21)と、高校の同級生男性(21)の飲み物にタリウムを混入して飲ませ、殺害しようとしたとされる。また、名古屋大1年生だった14年12月には森さんを殺害し、6日後に帰省先の仙台市で民家に火を放って住人3人を殺害しようとしたとして起訴された。

 検察側は「元少女は当時、少年法で刑事責任が軽くなる可能性を意識していた」と主張。「殺すつもり?」とすがる森さんを手おので殴ったことや、タリウムで男性に治療困難な視力障害を負わせた結果などを踏まえ、「死刑も考えられる」と指摘。ただし、タリウム事件当時は16歳で、「症状を観察したい」という動機の形成に発達障害が影響した点も考慮し、極刑の求刑は回避した。

 対する弁護側は「各犯行は異常な精神状態で起こされ、被告の自由な意思に基づくものではなかった。検察は障害を矮小(わいしょう)化している」と反論。刑務所への収容ではなく、長期間の専門的治療の必要性を訴えた。

 元少女は最後に証言台でこう述べた。「まだ心から反省し謝罪する段階に至っていないが、自分がやったことの大きさは実感している」「こういう事件は二度と起こしたくない。人を殺さない自分になれるのか不安はあるが、反省や謝罪、償いをいろんな人の力を借りながら、一生かけて考えていきたい」。淡々としたこれまでの供述と異なり、声は少し震えていた。

 判決は24日に言い渡される予定。
(後略)
http://www.asahi.com/articles/ASK3B535GK3BOIPE01M.html

この「求刑」を評価する術をもたない。但し、被告の「刑事責任」を引き受ける権利を否定する弁護側の主張には違和感しか感じないけれど。弁護側のロジックがそのまま適用されると、テロリズムとか戦争犯罪というのは裁けなくなるよ。「各犯行は異常な精神状態で起こされ、被告の自由な意思に基づくものではなかった」。はい、お終い! 
ところで、「タリウム娘」は人を殺したいという衝動を素朴実証主義(笑)によって解決してしまったわけだ。今思ったのだが、そういう衝動はフィクション化することによって解決する途もあるのではないか。素朴実証主義(笑)に対して、こちらの方はシミュレーショニズムというか、とにかく形相化の徹底といえるかも知れない。遊戯=演劇化としてのSMプレイに嵌っていたら、或いは犯罪小説やSM小説の作家を目指していたら、殺人をする必要はなかったのかも知れない。

犬の躾問題

承前*1

籏智広太*2「【森友学園】籠池理事長がYouTubeで猛反論 安倍首相へも恨み節」https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni17 *3


タイトルをマークし、だってさ! とコメントするに止める。
本当に犬が人間を噛み殺しちゃった話;


10カ月の女児、飼い犬にかまれ死亡 東京・八王子

2017年3月10日00時43分

 9日午後4時35分ごろ、東京都八王子市北野台5丁目の民家から、「女の子が犬にかまれた」と119番通報があった。救急隊が駆けつけたところ、生後10カ月の安田翠(みどり)ちゃんが頭から血を流しており、約2時間後に死亡した。現場は翠ちゃんの母親の実家で、飼い犬のゴールデンレトリバー(4歳オス、体重約37キロ)にかまれたという。

 警視庁南大沢署によると、翠ちゃんはハイハイを始めたばかりで、当時は祖父母と3人で居間で遊んでいたが、屋内で放し飼いにされている犬が突然かみついたという。

 翠ちゃんは祖父母宅をしばしば訪れていた。祖父母は警察に「ほえたりかんだりしない、臆病でおとなしい犬だった」と説明しているという。

 環境省によると、犬のかみつき事故(2015年度)は全国で4373件で、98%が飼い犬だった。15年には北海道の住宅で、女性(52)が知人の飼い犬にかまれて死亡。14年には大分県で、集団登校をしていた小学生ら7人が首輪をつけた中型犬にかみつかれ、けがをする事故が起きている。
http://www.asahi.com/articles/ASK397GRMK39UTIL06V.html

この犬の名前はヤスノリ?

Umayado or Shotoku?

朝日新聞』の記事;


聖徳太子、教科書で表記変更は妥当? 国会で論戦に

水沢健一

2017年3月10日08時47分


 「聖徳太子という表記をなくしたり、聖徳太子不在説に立ったりするものではない」――。学習指導要領の改訂案で「聖徳太子」の表記が変更されたことについて、9日の参院文教科学委員会で「問題だ」といった声が上がり、松野博一文部科学相が説明に追われる一幕があった。

 改訂案では、「聖徳太子」が、小学校では「聖徳太子厩戸王〈うまやどのおう〉)」、中学校では「厩戸王聖徳太子)」となっている。文科省によると、正しくは「厩戸王」で、没後100年くらい後の書物で「聖徳太子」と紹介されたという。中学校では正式名を先に出した。

 無所属クラブの松沢成文氏は同委で「極めてわかりにくい。聖徳太子の偉業を歴史のなかで教えていくのは連続性がなければいけない」と指摘。議論が足りないとして、今回の改訂では表記の変更を見送ることも求めた。松野文科相は「聖徳太子の業績に否定的な見解を持っているということでは全くない。古代史への理解をしっかり進めるにあたり、こういう形になった」と説明。そのうえで「パブリックコメントで広く意見をいただき、(3月中の公示までに)しっかり判断したい」と述べた。(水沢健一)
http://www.asahi.com/articles/ASK396257K39UTIL04T.html

聖徳太子福沢諭吉に取って代わられてから既に何年経つのやら。その意味では、若い人たちにとって、「聖徳太子」のリアリティはすごく薄くなったとはいえるだろう。
「不在説」というか非実在説については、やはり大山誠一『聖徳太子と日本人』*1をここでもマークしなければならないだろう。『神奈川新聞』によると、民進党笠浩史も「聖徳太子」を巡って、文部科学省にいちゃもんをつけていたのだった;

かっこ扱い批判 民進・笠氏が聖徳太子の表記に

カナロコ by 神奈川新聞 3/9(木) 9:00配信


 民進党笠浩史氏(衆院9区)は8日の衆院文部科学委員会で、文部科学省が次期学習指導要領改定案で「聖徳太子」の表記を「厩戸王(うまやどのおう)(聖徳太子)」と変更したことについて、「聖徳太子は歴史上最も重要な人物の一人。かっこ扱いにするのは歴史に対する冒涜ぼうとく)でもある」と批判した。

 「聖徳太子」は没後に使われるようになった呼称で、歴史学では一般的に「厩戸王」と呼ぶことから、改定案で中学校の歴史用語を変更している。

 笠氏は、聖徳太子について「冠位十二階や十七条憲法などわが国の統治の基本をつくった。『和をもって貴しとなす』日本人の精神の支え」と説明。その上で「必ず見直してください。かっこ扱いするようなことは絶対にしないで」と訴えた。

 これに対し、松野博一文科相は「改定案はパブリックコメントで国民の意見を聴いている最中。私の責任において公示したい」と答弁。笠氏は「必ずかっこ扱いしない、きちんと聖徳太子を教えていくと約束していただいたと受け止めた」と述べ、質問を締めくくった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170309-00016259-kana-l14

松沢にしても笠にしても、神奈川人の「聖徳太子」への思い入れということで考察される必要があるだろう。
ところで、「聖徳太子」を「厩戸王」にするなら、同時代の義母に当たる推古天皇はどうなるのか。というか、記紀編纂以前に在位した天皇の唐風諡号はどれも「聖徳太子」と同様な扱いを受けるべきなのでは?

退場

承前*1

Justin McCurry “South Korean president Park Geun-hye forced from office by constitutional court” https://www.theguardian.com/world/2017/mar/10/south-korea-president-park-geun-hye-constitutional-court-impeachment


韓国の「憲法裁判所」は韓国議会の朴槿恵大統領弾劾決議を全員一致で支持する結論を出した。これによって、彼女は刑事責任の免責特権を失うこととなり、韓国は60日後に新大統領が選出されるまで空位期に入ることになった。

贅する?

「「選択的夫婦別姓」を至急導入しないと、絶えるイエ(氏姓)が続出する」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160902/1472827874


曰く、


(前略) 俺の子供はこの娘だけだから、俺の娘の結婚相手が我が家の姓になるのを拒んだら、我が家系はイエ制度的に俺の代で終了だ。

氷河期世代より下は特に少子化していて兄弟姉妹のいないケースが多いだろうから、運良く結婚できても長男長女同士のケースばかりで、「選択的夫婦別姓」を至急導入しないと、婚姻が一つ成立するたびにどちらかの氏姓はイエ制度的に絶えることになるな。

それって日本の伝統文化的にどうなんだろうね。

また、


「補遺、選択的夫婦別姓を認めないとどんどん日本の氏姓が消滅する件」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160904/1472999465



選択的夫婦別姓が法的にOKなら、どうにか1世代、年数にして約30年弱、この問題を先送りできる。30年後にはひょっとしたら日本の出生率が増えて、夫婦相互の姓を次の世代が受け継ぐことができるかもしれない。

選択的夫婦別姓を法的に認めないのなら、もう現時点で刻々と、婚姻に成功した日本社会の成功者の家系の氏姓はそのたびごとに半数となり、もちろん成功しなかった家系の氏姓はその代で断絶である。


選択的夫婦別姓という回避策延命策を自称「保守」な人が拒絶しているのは、現時点の自称「保守」が都市層に偏っているからで、地方在住民の生活感覚・伝統継承感覚を現時点の自称「保守」がまるっきり全然反映していないから、だと俺は思う。

俺の田舎は一村落中8割が同じ姓なので、同じ村落で婚姻している限りはこの問題が顕在化しないかもしれないが、さすがに俺の年齢より下は県外者との婚姻が多くて、氏姓の継承に着目しだすと夫婦別姓と夫婦同姓と比較すれば別姓のほうが家系氏姓継続という意味で保守的価値観から見て正解だと思う。

なので今後10年以内の短いスパンで保守思想界は、イデオロギッシュで地方無視な夫婦同姓論と、もっと地方民の生活感覚ならびにイエ制度存続感覚に沿う夫婦別姓との対立となると思う。

まあ、「イエ制度」というのは全然関係ないけれど。たしかに、少子化が進むと、一人息子と一人娘同士の結婚というのが増える。その場合、現在のような強制的「夫婦同姓」制度の場合、どちらかの苗字は「断絶」してしまう。鈴木とか佐藤ならともかく、佐村河内とか小保方とか能年といったそれ自体が無形文化財といえるような苗字に生まれた人が、そのために結婚に二の足を踏んでしまうというのは十分に理解できるし、二の足を踏んでしまう人も実際にいるらしい。法制度がどのように対応することになるのかはわからないけれど、これからは中国語では「贅」と表記されるような結婚形態を望むカップルも増えてくるのではないか。妻の産む男子のうち少なくとも1人が妻方の姓を継承することを条件とした結婚形態。上田信『伝統中国』*1から引用する;

(前略)もし息子が生まれなかった場合には、系譜が途切れてしまう。この危機を回避するための方便の一つが〈贅〉である。生まれてくる男児の一人に妻の父の系譜を継がせることを条件とする婚姻であり、夫は妻の家に帰属するわけではない。、もし複数の男児が生まれれば、夫の姓を継がせ、夫の系譜を後代に伝えることも可能である。日本の近世社会でみられる〈入り婿〉とは本質的に異なる。人類学でいう「妻方居住婚」でもない。妻方居住することが〈贅〉の必要条件ではないのである。(p.98)
まあ、必要なのは、「夫婦別姓」だけでなくて、親子間や兄弟姉妹間での別苗字の容認だろう。まあ、江戸時代においては、そこら辺は緩かったようだが。小津家に生まれた本居宣長は母方の名字である「本居」を択んだ*2。父方の名字を名乗るのか母方にするのかを、子どもが選択できるようにすべきではあろう。
さて、最初に「イエ制度」とは関係ないと言った。寧ろ、「イエ制度」の衰退によって、子どもがいなければ断絶してしまうというプレッシャーが増大しているという側面はあるのだ。「イエ制度」的な解決方法として、本家が絶えても分家が続けばまあOKということがあるよ。分家の創設にはリスク・ヘッジという側面があったわけでしょ? 本家(将軍家)の断絶というリスクをヘッジするために、紀伊尾張、水戸という御三家を創設し、さらには田安、一橋、清水という御三卿を創設した。他方、分家にとって、本家の断絶というのは日陰者の位置から脱するチャンスでもあったわけだ。

目が覚めたら江西省

承前*1

2015年8月16日。


新余駅。江西省余市*2


江西省鷹潭市内*3




鷹潭駅。


江西省貴渓市内*4

江西省上饒市内*5



上饒駅。