江西鯨

『Record China』の記事;

「犬のエサにしたかった」中国企業が保護動物のクジラを購入、解体する画像が物議―江西省余市


2017年1月8日 19時40分

Record China
7日、北京青年報は記事「中国企業が8トンのクジラを解体、ネット情報に江西省漁政局が回答」を掲載した。大きなクジラが解体されている写真がこのほどネット上に公開された。トラックに乗せられたクジラが腹部を大きく切り裂かれている姿がはっきりと写っている。

5日、大きなクジラが解体されている写真がネット上に公開された。トラックに乗せられたクジラが腹部を大きく切り裂かれている姿がはっきりと写っている。投稿したネットユーザーによると、江西省余市の企業にクジラが持ち込まれ、その場で解体されたという。

江西省漁政局に問い合わせたところ、クジラを解体していたのは江西瑞晶太陽能公司太陽電池の製造メーカーで、クジラは業務とは関係なく、企業トップの個人行為だという。犬のエサにするために4000元で購入。すでに腐敗が始まっていたため、ただちに解体された。

北京の弁護士、韓驍(ハン・シャオ)氏によると、クジラの購入と解体が違法行為になるかどうかは認可を取っていたかどうかで決まるという。クジラは国家二級保護動物のため無認可での購入、輸送、利用は違法行為となる。(翻訳・編集/増田聡太郎)
http://news.livedoor.com/article/detail/12512784/

元ネタは、


郭琳琳「新余一公司拉来八吨重鯨魚 江西省漁政局已開展調査」http://news.ynet.com/3.1/1701/06/12236466.html


か。
最初、上の記事を読んだとき、4000元というのは安すぎるんじゃないかと思った。円安なレートで計算しても円高なレートで計算しても4000元は10万円に満たない。江西省新余*1というのは内陸部で、しかもけっこう山の中。海辺からそこまで大型トラックに乗せて、8トンの鯨*2を4000元で送り届けるのはどう見ても割に合わない。と思ったのだが、別の記事を読むと、この鯨は浙江省舟山*3の某企業の幹部による私的な贈与*4。4000元というのは運送実費だったという*5。また、この記事によれば、そもそも温州・平陽の漁船が海上で死んだ鯨を見つけた。相談を受けた舟山の企業幹部、張奎定氏は上海にある科学技術館に標本用に寄贈を申し入れたが、表面の損壊が著しいということで拒絶された。漁船は舟山の沈家門漁港で鯨を降ろした。鯨の始末に困った張氏は、犬を沢山飼っているという江西省新余の江西瑞晶太陽能公司のトップに引き取ってもらうことにしたという。これで謎はけっこう解けた。亜細亜捕鯨船保有しているのは日本だけなので、中国の漁民が生きた鯨を捕獲するのは殆ど不可能に近いのだが、最初から死んだ鯨だったのか。また、鯨の漂着というのは、どの国で起こっても、座礁して浅瀬或いは砂浜に乗り上げた鯨はニュース的な〈絵になりやすい〉ということもあって、大体TVや新聞で報道される。昨年の2月に中国の江蘇省南通に鯨が漂着したときも国際的に報道された*6。海岸近くではなく沖合に漂っているところを遭遇してしまったわけだ。巨大なエビス様!*7 それにしても間一髪だった。腐りかけた鯨の死体というのは時限爆弾のようなもので、腐敗によって発生したガスが一気に爆発したら、それはそれは悲惨なことになる*8

*1:http://www.xinyu.gov.cn/ See eg. http://baike.baidu.com/item/%E6%96%B0%E4%BD%99

*2:中国の多くの報道では7トンということになっている。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100527/1274924262 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150712/1436727202

*4:王剣「江西被宰殺喂狗系私人贈送 正核査是否違法」http://news.sina.com.cn/o/2017-01-11/doc-ifxzqhka2693767.shtml

*5:「当事人回応鯨魚喂狗:曽聯系科技館做標本 因魚皮損壊被拒」http://www.thepaper.cn/www/resource/jsp/newsDetail_forward_1597660

*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160225/1456366376

*7:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170111/1484102300

*8:していないけれど、ネットで検索すると、鯨爆発の画像というのはけっこう出てくるのでは?

Bならよかった?

“The "New" DEEP PURPLE 1980 featuring Rod Evans” http://www.cream-revival-band.com/Bogus_Deep_Purple_1980.html


ネットを彷徨いていていたら、偶々ぶつかった。1980年に起こった〈偽ディープ・パープル事件〉について。1980年に「新ディープ・パープル」と称するバンドが墨西哥、米国、カナダの数か所でライヴを行った事件*1。この事件をちょっと複雑且つ哀愁を帯びたものにしているのは、ディープ・パープル*2の初代のヴォーカリストで、バンドを追い出されてから不運が続いていたロッド・エヴァンスが加担していたことだろう。彼は多額の賠償金を搾り取られた上に、自らがかつて作詞・作曲に関わったディープ・パープルの楽曲の著作権まで没収されてしまった。また、この事件以降、公衆の面前から姿を消してしまった。今どうしているかはWikipediaでもわからない*3。話を戻すと、この「偽ディープ・パープル」事件というのは、その数年前に起きた「偽ステッペンウルフ」事件の反復である。首謀者も同一。「偽ステッペンウルフ」と「偽ディープ・パープル」のメンバーも幾人かは重なっている。でも、この事件を知ったのはかなり後になってからで、1980年当時は全く知らなかった。その頃は、ハード・ロックへの関心がいちばん萎んでいた頃だったのだ。また、勿論今のように、海外のゴシップ話をリアル・タイムで知ることができる時代ではなかった。
さて、Deep PurpleじゃなくてDeep Burpleだったらどうだったのだろうか。SNAP、美空ひかり、宇多田ヒバリ。

Untitled


筷将軍@延安西路*1。2015年10月9日。

「求助4元銭吃点東西/和籌車費。謝謝」。江蘇路。2015年10月9日。

江蘇路*2。2015年10月9日。

天鑰橋路。2015年10月12日。

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150421/1429638333 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150501/1430467387 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150520/1432093122 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150531/1433008612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150612/1434076624 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150613/1434164214 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150619/1434641534 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150621/1434850199 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150624/1435115623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150629/1435547927 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160801/1470022207 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160803/1470198642 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160825/1472095747 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160905/1473043308 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160914/1473867281 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160918/1474216985 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161118/1479442689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161119/1479576163 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161222/1482436066 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161231/1483148740

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070120/1169320650 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100728/1280287612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140906/1409963758 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141116/1416121634 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150330/1427731938 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150423/1429804399 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150601/1433135511 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150624/1435115623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150704/1436004709 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150727/1437924081 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160914/1473867281 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160916/1474025788 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160919/1474305974 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161022/1477159557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161118/1479442689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161225/1482691224 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161228/1482930979 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161231/1483148740

Eno's reflection

ブライアン・イーノ*1の新譜Reflectionが元旦にリリースされている*2。それとともに、イーノが発した年頭のメッセージ*3が話題になっているようだ。
『NME JAPAN』の「ブライアン・イーノ、新年のメッセージの日本語訳が公開に」という記事*4から一部引用してみる;


2016年は、確かに荒れた1年だった。だがそれは、長い衰退の“始まり”ではなく、“終わり”なのではなかろうか。あるいは少なくとも、終わりの始まりではないだろうか……。というのも、我々はこれまでの40年間、ずっと退潮にあり、緩やかな非文明化が進行していたにもかかわらず、現在まではっきりそうとは気づいていなかっただけなのではないかと思うからだ。緩やかに温度の上がっていく鍋の水に入れられた“茹でガエルの法則”が、私の頭をよぎる。

この衰退に伴うのが、安定した雇用から不安定な雇用への移行、労働組合の消滅及び労働者の権利の縮小、ゼロ時間契約労働、地方自治体の解体、公共医療サービスの破綻、無意味な試験結果や成績表に支配される資金不足の教育制度、移民に責任を被せるレッテル貼りの容認化、安直なナショナリズム、そしてソーシャル・メディアやインターネットによって可能になった偏見の集中だ。

非文明化に向けたこの一連の変化は、社会的寛容を嘲笑い、一種の正当な利己主義を擁護していたあるイデオロギーから生じた。(サッチャー元首相曰く『貧困に陥るのは人格に欠陥があるから』。アイン・ランド曰く『利他主義は有害である』)。抑制なき個人主義を重要視することには、二つの作用があった。一つが莫大な富の創出。もう一つがその富の、より少数の者への集中化だ。現在、全世界の上位62人の富豪が所有する資産が、下位50%の人々の全資産の合計を上回っている。こういった富はいずれ全て“トリクルダウン”(=滴り落ち)し、残りの人々全てを経済的に潤すことになるだろうという、サッチャーレーガン体制の幻想は実現していない。実際には、その逆の現象が起きているのだ。大多数の人の実質賃金は、少なくとも20年間にわたって減少していると同時に、将来の見通しは――そしてその子供達世代の将来性は――ますます不透明になってきている。人々が憤り、旧態依然とした政府に背を向け、他所に解決策を求めるようになっているのも不思議ではない。誰であれ最も金を持っている者に政府が最大の配慮をしている一方で、現在我々が 目の当たりにしている甚大な富の不平等が、民主主義の理念を水泡に帰さしめているのだ。ジョージ・モンビオットが「ペンは剣より強いかもしれないが、財布はペンよりも更に強い」と言った通りである。

昨年、人々はこのことに気づき始めた。多くの人々が、憤り、手近にあるドナルド・トランプ的な対象を掴み、それで支配者層の頭を殴りつけた。だがそれは、最も派手に人目を引く、メディア的に美味しい覚醒でしかなかった。その一方で、地味ではあるが、同じくらい強力な目覚めもあった。民主主義の意味とは何か、社会の意味とは何か、そしてそれらを再び機能させるためにはどうすればよいか、人々が考え直しているということ。人々は真剣に知恵を絞っており、そして最も重要なことに、声に出しながら共に考えている。2016年、私達は集団的な幻滅を経験し、幻想から覚め、ようやく鍋から飛び出す時が来たことを悟ったのだと思う。

取り敢えずアイン・ランド*5が名指されていることに注目した。
See also


ブライアン・イーノ、新年のメッセージを公開」http://www.ro69.jp/news/detail/154415
Colin Marshall “Stream Brian Eno’s “Magnificently Peaceful” New Album Reflection: A Thoughtful Way to Start 2017” http://www.openculture.com/2017/01/stream-brian-enos-reflection.html
Jon Blistein “Read Brian Eno's Sobering 2016 Recap, 2017 Call to Action” http://www.rollingstone.com/music/news/read-brian-enos-sobering-2016-recap-2017-call-to-action-w458691
Samantha Maine “Brian Eno shares New Year’s Day message, urges public to push for equality” http://www.nme.com/news/music/brian-eno-new-years-day-message-1930038

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050713 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050820 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060920/1158772755 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061113/1163428139 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070709/1183951338 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071013/1192258586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071230/1199002440 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080520/1211288624 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080821/1219335534 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081020/1224469273 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090309/1236622473 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091014/1255553835 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091220/1261293566 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100202/1265134898 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100203/1265213985 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100303/1267615922 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100824/1282669857 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110821/1313928238 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130318/1363611243 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131007/1381157912 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131028/1382925103 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131218/1387378203 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160111/1452529920 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160429/1461947709 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160525/1464142887 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160626/1466955648

*2:See eg. http://www.brian-eno.net/ Lars Gredal “Brian Eno New Album Reflection Released 1st January 2017” http://www.enoshop.co.uk/brianenonewalbumreflection

*3:https://www.facebook.com/brianenomusic/posts/1543156529031866 http://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Brian-Eno/BRC-538/

*4:http://nme-jp.com/news/31823/

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091026/1256574276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161227/1482857738

Peter Sarstedt

Press Association “Singer-songwriter Peter Sarstedt dies aged 75” https://www.theguardian.com/music/2017/jan/08/singer-songwriter-peter-sarstedt-dies-aged-75
“Singer-songwriter Peter Sarstedt dies aged 75” http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-38548507


印度系英国人のシンガー・ソングライターPeter Sarstedt*1が1月8日に逝去。享年75歳。21世紀になって再び彼が注目を集めたのは、ウェス・アンダーソンの映画『ダージリン急行*2で1969年のヒット曲”Where Do You Go to My Lovely”*3が使われたことを契機とする。

Narrative?

朝日新聞』(ロイター)の記事;


ジョージ・ルーカス博物館、ロサンゼルスに建設へ

2017年1月12日10時57分


 [ロサンゼルス 10日 ロイター] - 映画「スター・ウォーズ」などを手掛けたジョージ・ルーカス監督の建設費10億ドル(約1150億円)の博物館が、ロサンゼルスに建設されることが決まった。同市のエリック・ガルセッティ市長が10日、声明で明らかにした。

 博物館「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナレーティブ・アート」が建設されるのは、ロサンゼルス中心部のエクスポジション・パーク。市長は、ロサンゼルスは博物館建設に「理想の場所」と述べた。

 博物館は当初、シカゴに建設される計画だったが、公園保護団体から提訴されたことを受け、昨年、計画を撤回。市長は即座にロサンゼルスへの博物館招致に動いた。

 博物館には、スター・ウォーズに関連する品々や、ルーカス氏が保有する絵画やイラスト、デジタルアートなどが展示される予定。
http://www.asahi.com/culture/reuters/CREKBN14W077.html

See also


Andrew Liptak “George Lucas' narrative arts museum will be located in Los Angeles” http://www.theverge.com/2017/1/11/14236642/george-lucas-museum-of-narrative-art-los-angeles
Christopher Hawthorne “ What does building George Lucas' museum at Exposition Park say about L.A.?” http://www.latimes.com/entertainment/arts/la-et-cm-lucas-museum-hawthorne-20170111-story.html


この博物館*1サイバースペースには既に存在しているのだった*2
一連の記事を読んでちょっと吃驚したのは博物館の名称が”Museum of Narrative Art”であってvisual artではないことだ。語り物の藝。ルーカス*3は自らの仕事をstory tellingというか、広い意味での文学の系譜に属していると考えているわけか。ただ、「展示」内容はヴィジュアル・アートっぽいけれど。また、narrative artsと複数形かなと一瞬思ったのだけど、よく見たら単数のartだった。
上の朝日(ロイター)の記事に訂正を加えると、「当初、シカゴに建設される計画だった」とあるけれど、シカゴ以前に、桑港に建てる計画があった。