Scratch My Back

http://www.guardian.co.uk/music/musicblog/2010/feb/04/peter-gabriel-scratch-back


ジェネシスの再結成はなかったようだが*1ピーター・ゲイブリエルの新しいアルバムScratch My Backを全曲聴くことができる。
PGのプロジェクトとしては、Scratch My Backで他のアーティストの曲をカヴァーして、そのお返しに、カヴァーされたアーティストがPGの曲をカヴァーするというものだから、これからデヴィッド・ボウイポール・サイモンニール・ヤングによるPGの曲が出てくるわけだ(ジェネシス時代の曲もOK?)。
曲は勿論全てゲイブリエル節になっているわけだが、各曲のアレンジはとても繊細。
PGの『UP』が出てから既に8年経つのか。

UP

UP

Alexander McQueen

ERIC WILSON “Alexander McQueen, Designer, Is Dead at 40” http://www.nytimes.com/2010/02/12/fashion/12mcqueen.html
Esther Addley “Alexander McQueen's death mourned by fashion world” http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/feb/11/alexander-mcqueen-death-fashion-mourn
Imogen Fox “Alexander McQueen obituary” http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/feb/11/alexander-mcqueen-obituary


朝起きて知る。「自殺」であるらしい。母親が亡くなったばかりだったとも。

Orianthiなど

承前*1

Orianthi Panagaris(名義は姓を抜いたOrianthi)のBelieveを買う。

Believe

Believe

また、林少華『為了霊魂的自由――村上春樹的文学世界』中国友誼出版公司*2、2010 



長編小説
《且聴風吟》:出手不凡的処女作
《1973年的弾子球》:村上或“我”在尋找甚麽
《尋羊冒険記》:村上的“冒険”和羊的隠喩
《世界尽頭與冷酷仙境》:双線推進的“正面突破”
《挪威的森林》:永遠的青春風景
《舞! 舞! 舞!》:無可奈的独舞
《国境以南 太陽以西》:“国境以南太陽以西”有甚麽
《奇鳥行状録》:従“小資”到闘士的“編年史
《斯普特尼克恋人》:同性恋故事與文体“突囲”
《海辺的卡夫卡》:命運、“異界”與精神救贖
《天黒以後》:另一種形態的“悪”
1Q84》:不要進入“精神囚籠”


短編小説
《去中国的小船》:小船上搭載的是甚麽
《百分之百的女孩》:能従這裏見到“阿Q”嗎
《蛍》:非現実中的現実
《旋転木馬鏖戦記》:徒労中的転機
《再襲麺麭店》:失踪的不僅僅是象
《電視人》:“我”或主体性的迷失
《列克星敦的幽霊》:孤独並不総是可以把玩
《神的孩子全跳舞》:地震之後的“地震
東京奇譚集》:奇譚和奇譚以外


随筆・游記・其他
“村上朝日堂”系列随筆:村上随筆特色及其個人特色
《日出国的工廠》:村上眼中的日本及日本人
《辺境 近境》:村上十五年前的中国之行
《談跑歩時我談甚麽》:身体與文体之間


附録I
為了霊魂的自由――我所見到的村上春樹(訪問記)
村上春樹作品在中国的流行及其原因(講演)
文体的翻訳與翻訳的文体(講演)
之於村上的“高墻”與“鶏蛋”(訪談)


附録II
村上春樹:“高墻與鶏蛋”――耶路撒冷文学奨獲奨講演*3
村上春樹:遠游的房間――給中国読者的信
村上春樹:《海辺的卡夫卡》中文版序言


附録III
参考文献挙要

Robert A. Segal Myth: A Very Short Introduction(Oxford University Press, 2004)を見つける。但し、2008年に外語教学與研究出版社から出たバイリンガル版。

Myth: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

Myth: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

曖昧という困難?

「農耕が障害者を生んだ」http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100123/p1


曰く、


ちょっと前に俺は古代史にうるさいと書きましたが、日本だと縄文時代までの狩猟採集社会には、「障害」は存在しなかったと思っています。このころは、血縁者だけの小さなユニットが社会のすべてで、大規模な集団作業はなく、集団同士の争いや競争もなかったので、不利益になる個性というのを想定しづらいのです。

これが、弥生時代になって農耕社会になると、人は大集団をつくり、農作や戦争を行うようになります。(よく「狩猟社会は野蛮」とかいう人がいますけど、これは間違いで、全世界共通で人が戦争や略奪をするようになったのは農耕が始まってからです。)

農耕にせよ戦争にせよ、大集団での行動には画一的な働きが求められますから、扱いづらい個性が出てきます。「障害」の萌芽ですね。これがタイトルの「農耕が障害者を生んだ」という俺の説(?)です。

ただ、農耕というのは自然という曖昧なものを相手にしますから、集団の画一化も曖昧さを残していました。たぶん現代では重度に分類される障害以外は「障害」にならなかったと思います。

これが近代に入って工業化が始まると、ずっと厳密な画一化が必要になります。工場での労働は畑仕事と違って時間や手順が細かく決まっています。そして、大人になったとき時間や手順を守れるように教育するための機関としての学校が登場します。

ここまでくると、ADHDのように多動だったり、アスペルガーのように上手く空気が読めないことが「障害」になってきます。また、このエントリでは詳しくふれてませんが、近代化して知的生産の割合が高い社会になるほど、知能指数の低さが「障害」になるのだと思います。

興味深い視点だと思う。また、狩猟採集経済と農耕経済の対立を分裂病鬱病の対立に重ねた中井久夫先生の『分裂病と人類』*1を連想させるところもある。
分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

少し突っ込みを入れる。狩猟採集、農耕、工業と並べられているのだけれど、(農耕よりも早くから行われていた筈の)商業(交易)が無視されているのはどうかと思う。「アスペルガー」の問題に関して、これはとても重要である。商業(交易)はモノとモノのやりとりと同時に常に人と人とのコミュニケーションを含む。「上手く空気が読めないこと」が問題視されるようになったのは比較的最近のことだろう。「アスペルガー」の人にとっては、他人の「気持ち」とか人間関係が醸し出す「空気」のような曖昧なものが困難として立ちはだかる。こういう人にとって、「画一」的な工業(社会)というのは寧ろ適応しやすい環境なのでは? 機械の作動・反応は、それが優秀であればあるほど、人間とは違って、曖昧さを含まない。「上手く空気が読めないこと」が問題になるのは、(少なくとも)先進資本主義社会においては、〈ポスト工業社会〉とか〈情報社会〉とかが叫ばれ、既に工業がコアな産業ではなくなりつつあることと関係がある。商業というのは、値段の駆け引きとか接客とか、それ自体がコミュニケーションである。現代のホワイト・カラー労働は、勿論書類や数字の処理も重要だけれど、その中心は同僚や上司やクライアントとのコミュニケーションであるといっていいだろう。会議を開く、上司に報告する、クライアントにプレゼンする、クライアントを接待する、等々。そういう労働環境は「上手く空気が読めない」人にとってはきつい。また、集団行動だが、前以て決まった規則に機械的に従っていれば集団が存立するのではなく、各人がその場の「空気」を読みつつ、そのことによって「空気」を更新していくことによって集団性が存立するということもある。

このような基準の曖昧さについて「診断が障害をつくる」みたいな物言いをする人がいます。俺はこれは一面の真実だと思います。ただ、もう少し正確ないい方をすれば「社会が障害をつくる」のです。
これに関しては、レイベリング論の議論*2(例えばベッカー『アウトサイダーズ』、シェフ『狂気の烙印』など)を参照すべきか。〈普通(normal)〉から逸脱した振る舞いに対する初期の処遇はその後の経過に大きく影響する。よくいわれる喩え話だが、万引きをして警察に引っ張られた2人の少年がいて、ひとりは(初犯ということもあり)説教を食らっただけで家に帰された。もうひとりは家庭裁判所に送られ、さらに少年院にぶち込まれた。この2人の将来の人生が全く違ったものになるだろうということは簡単に予想できるだろう。「アスペルガー」に関しても、たんに〈ちょっと変な奴〉として扱われるのと、〈異常〉や〈病気〉として扱われるのでは全然違う。「アスペルガー」に限らず、〈自閉〉系の人には特異な記憶力などの特異能力があるとされる。しかし、それは周囲(社会)が特異能力を能力として認めて、能力を使用する機会を与える限りでのこと。特異能力を持った人が施設に閉じ込められて、その能力を使うこともないまま、やがてその能力も退化し、ただの障碍者になってしまったという報告を読んだことはある。
アウトサイダーズ―ラベリング理論とはなにか

アウトサイダーズ―ラベリング理論とはなにか

狂気の烙印―精神病の社会学 (1979年)

狂気の烙印―精神病の社会学 (1979年)

なお、曖昧さ(ambiguity)に関する社会学的考察として、Donald N. Levine The Flight from Ambiguityをマークしておく。
The Flight from Ambiguity: Essays in Social and Cultural Theory

The Flight from Ambiguity: Essays in Social and Cultural Theory

玉木ではなく

『読売』の記事;


「1週間のごぶさたでした」玉置宏さん死去

 「1週間のごぶさたでした」のあいさつで親しまれたテレビ司会者の玉置宏(たまおき・ひろし、本名・宏行=ひろゆき)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため亡くなった。76歳だった。

 葬儀は近親者のみで済ませた。後日、「お別れの会」が行われる予定。

 玉置さんが館長を務めていた「横浜にぎわい座」によると、玉置さんは今月3日に出勤したが、翌日から欠勤。8日になって家族から神奈川県内の病院に入院したとの連絡があったという。

 同県生まれ。子どもの頃から父と寄席に通い、歯切れのいい語り口と会話の「間」を学んだ。明治大学を卒業後、文化放送アナウンサーとして活躍。1958年からTBS系の歌謡番組「ロッテ歌のアルバム」の司会を務めた。

 この番組冒頭の「1週間の……」というあいさつや折り目正しい蝶(ちょう)ネクタイ姿が評判を呼び、67年からはテレビ朝日系の「スターものまね大合戦」の司会も担当。両番組に77年まで出演した。七五調の流れるような美文で流行歌を紹介する司会ぶりは他の追随を許さず、歌謡曲黄金期に活躍したスターたちを独特の名調子で舞台に送り出した。

 78年からはニッポン放送の午前中のラジオ番組「玉置宏の笑顔でこんにちは!」のパーソナリティーとして愛され、96年までの長寿番組となった。2001年には日本司会芸能協会の会長に就任。落語など演芸に造詣が深く、02年には「横浜にぎわい座」館長に就いていた。
(2010年2月12日14時15分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100212-OYT1T00792.htm

実を言うと、『ロッテ歌のアルバム』というのは知らない。ただ、多分私及び私より上の世代では、『のだめ』の玉木宏から玉置宏を想起したという人は多い筈だ*1
因みに、1967年に「テレビ朝日」という放送局はなかった。その頃はNET。