昭和天皇/靖国(続き)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060720/1153403176で、「中国のメディアはどんなふうに反応しているのかと思ったが、20日付の『東方早報』には何も載っていない」と書いたが、21日付では一応「国際」面のトップ;


 新華社「已故日皇反対靖国神社合祭甲級戦犯」
 新華社自民党重量級議員再〓*1分祭甲級戦犯“応尊重昭和天皇意願”」


但し、日本の媒体の報道を淡々と切り貼りしたもの。前者の記事には半藤一利氏が登場している。論評的な記事はなし。また、Shanghai Dailyは全くスルー。

ところで、http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f307d0f8d6130b8fc5d1897f475718a6に、『産経』、『読売』、『朝日』の社説が転載されている。『産経』のは、「小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい」と結ばれている。「国民を代表して」ということは、代表される「国民」はその責任の一端を引き受けなければならないということだ。いやはや。それに対して、


富田メモは、「A級戦犯分祀論議にも一石を投じることになろう。

 だが、靖国神社は教義上「分祀」は不可能としている。政治が宗教法人である靖国神社分祀の圧力をかけることは、憲法政教分離の原則に反する。麻生外相は、靖国神社を国の施設にすることを提案しているが、これも靖国側の意向を前提としない限り不可能だ。

 靖国神社には、宗教法人としての自由な宗教活動を認める。他方で、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。

 「靖国問題」の解決には、そうした選択肢しかないのではないか。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f307d0f8d6130b8fc5d1897f475718a6

という『読売』の社説はかなりまともか。というか現実的か。

*1:yu4. GB5185.

グローバル化と中国(Memo)

取り敢えずURLだけメモしておく。
中国、グローバル化、出稼ぎ労働、国営企業を巡ってのやり取り;


http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_16.html
http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_19.html
http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_20.html
http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_22.html


ところで、このblogを書いている方は昔の知り合いかも知れない。

家庭内冷戦?

Irpnet MLから;


東京女子大学女性学研究所フォーラム

National Security and Personal Security:
The Domestic Cold War and its Legacy
国家安全保障と個人の安全:家庭内冷戦とその遺産

By Elaine Tyler May
エレイン・タイラー・メイ ミネソタ大学教授

日時: 2006年7月28日(金)1時から2時30分
場所:東京女子大学女性学研究所会議室
使用言語:英語
問い合わせ先:小檜山ルイ(rui@lab.twcu.ac.jp)

エレイン・タイラー・メイ(Elaine Tyler May)
ミネソタ大学アメリカ研究学部教授。20世紀アメリカ合衆国史、特に政治と文化・家
庭・ジェンダーとの接点を専門とする。カリフォルニア州
身。UCLAで博士号を取得、プリンストン大学ハーヴァード大学で教鞭を取った後、
1978年よりミネソタ大学在任。主著にHomeward
Bound: American Families in the Cold War Era
[家庭回帰:冷戦期のアメリカ家族]などがある。米国アメリカ学会会長(1996年)、
フルブライト名誉教授(1997年)などを歴任。

Domesticって、「国内的」じゃないかと一瞬思ったけれど、掲げられた講演者の主著のタイトルを勘案すれば、やはり「家庭内」でいいわけか。

2つの極

 http://d.hatena.ne.jp/gushoukuuron/20060720/p1
 http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060719/1153335303


ところで、何故はっきりレイプと書かないのか。たんなる「みだらな行為」でこんな大事になるはずがないではないか。

80年代とか90年代とか

「そばや」さんにもコメントをいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060720/1153361608だけれども、そこで引用した記事の中の「二極化」という言葉は意味不明。「二極化」というのは、この場合だったら、例えば〈セックスOK〉という極とその反対の〈男女交際それ自体禁止〉という極端が増えて、中間が萎むということでは?
それはそれとして、記事の中のコメントで「バブル」とその後というのが出てきたが、80年代を巡っての、zoot32さんの回想;


わたしが小学校五年生のころだ。年に一度、クラスで配布される、学級名簿があるのだが、ある日配られた名簿を見た、わたしのまわりの生徒たちが、わあっと騒ぎだした。クラス全員が、わたしを見ている。これはどういうあれだ。とてもいやな予感がわきあがり、わたしは、あわてて、手元にある名簿を確認した。わたしの名前。住所、電話番号。生年月日、そして親の名前と職業。あ、これだ。わたしの母の職業の欄には、こうあった。

「コピーライター」

そのまま校舎の窓から飛び下りたくなるくらい、恥ずかしかった。やってくれたものである。なにがコピーライターだ。ふつうに主婦って書けばいいじゃないか。ばかじゃねえの。こんなのさあ、クラス中に、「この子を気の済むまでいじめてやってください」っておねがいしているようなものじゃないか。たのむから、ふつうにしててくれよ。そんな息子のささやかな祈りも届かず、わたしの母は、自称コピーライターとして、学級名簿に輝かしくその名を刻んだのであった。たぶん、広告の仕事とか、してたのかな。知らないけど。名乗ってみたかったんだろうな。コピーライターって。それは、1981年。糸井氏が、「不思議、大好き」「おいしい生活」などのキャッチコピーで、世間の話題をさらっていたころだった。そして、案の定、いじめられる息子。http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060718#p1

但し、1981年はまだ80年代というよりは70年代の延長という雰囲気が濃いような気もする。惹句という意味での「コピー」という言葉が一般に定着するのはこの頃か。既に1983年には、浅田彰氏が糸井重里から林真理子という仕方で時代の変容を語っていた。また、広告文化の一般への影響ということでは、糸井氏よりも川崎徹の役割の方が大きかったような気もする。
ところで、zoot32さんは宮沢章夫氏の『八十年代地下文化論』という本に言及している。zoot32さんの紹介によれば、80年代と90年代(2000年代?)の差異は、「西武セゾン系文化」と「森ビル系文化」の差異ということになる。六本木でいえば、WAVEと六本木ヒルズ。この本は仲俣暁生*1も注目している。仲俣氏が注目するのは、原宿にあった「ピテカントロプス・エレクトス」(が象徴する物事)*2。曰く、

私はピテカントロプスなんて一度も行かなかったし、80年代前半はけっこう、千葉のような地方都市も「どんくさい」なりに面白かった。岡崎京子は下北沢の理髪店の子供だから、むしろ感性としては下町ッ子で、宮沢章夫が80年代における「鹿鳴館」(=近代化の象徴)だったというピテカントロプスなんかより、ずっと面白い遊び場を知っていたはずだ。

おそらく「1980年代」論というのは、論の立て方が間違っているのだと思う。「80年代前半」といわれている時代が面白いのは、当時はまだリアリティのあった「昭和50年代」という言い方で表現されるドメスティックな「どんくささ」と、「鹿鳴館」という譬えがいみじくも言い当てている「近代化」とが同居していた時代だからだ。浅田彰が80年代の「福沢諭吉」だったとしても、その言説に乗っかって行動する人ばかりが生きていたわけではない、ということである

また、

岡崎京子については「80年代」と結びつけて語りたがる人がとても多いけれど、個人的には一度しか面識がないが、それでも岡崎さんと同時代を生きてきたという気持ちの強い私にとって、彼女は「90年代」の人であり、少なくともそうであろうとした作家だったと思う。岡崎京子の「90年代」との格闘を引きつごうとする作家がいないことが私には残念だし、彼女より年長の男たちがこぞって彼女を自分たちの手前勝手な「80年代」に幽閉しようとしていることが、腹立たしくてならない。

この本のおかげで、これまでずっと「擁護」しようと思って力んでいた「80年代」から、私はすっかり解放されたように感じた。自分はもしかしたら「80年代」の人間ではなくて、どちらかといえば「90年代」の人間だったのかもしれない。それでも宮沢章夫が「80年代」を語りつつ、それ以前の70年代に強く拘束されているという意味では、私にとっても「80年代」は無意識に沁みこんでいるはずで、もしも「80年代」を批評の俎上に載せようとするなら、その無意識をこそ分析しなくちゃならないんだろう。

岡崎京子が「80年代」ではなく「90年代」に属する人だというのは賛成。「80年代」といえば、(私にとっては)寧ろ玖保キリコさんだろう。また、仲俣さんは『シティ・ロード』の人であって、私にとって『シティ・ロード』という雑誌は「80年代」を構成するそれなりに重要なアイテムであったというのは横に置いて、「90年代」というのを実体化するのはどうよという感じはする。仲俣さんは「80年代」を

あえて明治時代になぞらえていうなら、85年のプラザ合意と、国鉄民営化に対して「起こらなかった」幻の政治闘争がもしかしたら「西南の役」だったのかもしれない。ともかく、「昭和50年代」でもあった84年までと「1985年以後」は、まったく違う時代である。
と指摘していて、これは首肯に値するのだが、「90年代」というのは「80年代」的なものが崩れていった、緩慢或いは急速な過渡期だったといえるかもしれない。尤も、あらゆる現在は常に過去と未来の間でしかありえないということも、ほぼ自明なこととしていえるわけだが。

*1:http://d.hatena.ne.jp/solar/20060720/p1

*2:略して、「ピテカン」と呼ばれていた。

からいも

鹿児島では「さつまいも」ではなく「からいも」と呼ぶというのは知っていたが、「taichann」によれば、熊本でも「からいも」と呼ぶという。「からいも」と呼ぶのは九州全域に拡がる? 福岡で「天ぷら」といえば(東京でいうところの)薩摩揚げであるが、これも九州一帯に拡がるのだろうか。
因みに、「上海蟹」というのは日本語であって中国語ではない。

朋克、punk

何を以てパンクの発端とするかは難しい問題だし、また紐育が先か倫敦が先か問題というのもある。取り敢えず、今年はパンク誕生30周年。
中国の雑誌だと、『音像世界』の6月号が「朋克30年巡礼(Punk Revisited)」という特集をしている;


Damon@Albion「朋克倫敦」 pp.24-33
駱小〓*1「朋克紐約」 pp.34-43
Poorwind「朋克北京」 pp.44-50
Poorwind「李鵬:我是個混得還不錯的快楽朋克」 pp.51-52
小寒「王悦:朋克在我脳子裏就是一種音楽形式」、pp.52-53
*2舫「我是一個退休朋克 何勇専訪」 pp.54-55
張薇薇「我是一個便衣朋克――艾未未訪談」 pp.56-57
*3舫「朋克也是欲望英雄 汪民安訪談」 p.58
星月、〓*4舫「我一個不願暴露身〓*5的朋克 春樹訪談」 p.59
*6舫「我是一個最大衆的朋克 李木子訪談」 p.60
また、『三聯生活週刊』7月10日号の「特別報道:朋克30年」;

朱歩衝「万歳還是万砕?──朋克誕生30周年」 pp.68-69
無名氏「五道口:北京朋克興衰史」 pp.70-72
袁越「朋克之死」 pp.73-74
于萍「滑板男青年與朋克」 pp.74-75

*1:ting2. おんなへん+亭。GB7035.

*2:hao3. 赤+おおざと。GB2634.

*3:hao3. 赤+おおざと。GB2634.

*4:hao3. 赤+おおざと。GB2634.

*5:fen4. にんべん+分。GB2361.

*6:hao3. 赤+おおざと。GB2634.

『新世紀週刊』――中国ロック20周年

承前*1

海南島で発行されている週刊誌『新世紀週刊』(7月1日号)の特集――「別了、揺滾 中国揺滾20年祭」(p.72ff.)。中国においてロックがメジャーになったことなどまだ一度もないのに、「別了(さらば)」とはこれ如何に?と思ったりもするが、80年代のロック・キッズたちも既に「中年」だということは事実である。


胡凌竹「那天、崔健吼出中国揺滾」 pp.74-77
許敏「揺滾老炮、ni変了没有?」 pp.77-78
姜弘「方無行:中国揺滾還没開始」 pp.79-82
許敏「幌子:当揺滾変成偽揺滾」 pp.83-84
許敏「春樹:我在揺滾裏尋找力量」 pp.84-85
健崔「中国揺滾黒話2.0版」 pp.86-87
顔峻「《揺滾黒話1.0》縮略版」 p.87
鉄志「揺滾楽到底是甚麼」 p.88
健崔「西方世界:還揺ma、滾了ma?」 p.89
大熱「崔健:眼裏還是不揉一点沙子」 p.90
平客「珍愛生命 遠離揺滾」 p.91