茨城県を巡っては、イバラキ/イバラギ問題というのもあったのだった*1。
木許はるみ「若者の半数が読めない? 「常陸」ブランド化の盲点」https://news.yahoo.co.jp/articles/4d63842fd2aa6b0e8718df373b1964cbd625b3dd
曰く、
令制国の名(旧国名)の訓みの多くは、日本語における漢字の音訓のシステムを知っていても機械的に導き出せるものではない。だから、何時の間にかに憶えていたとしか言えない。そもそも、何故「大和」と書いてヤマトと訓ずるのかと簡潔に説明できる人は少ないのでは? 関東地方に限っても、誰もが容易く読めて、その訓み方に納得するというのは下総くらいだろう。ただ、私は、普通に、日本史関係の本とか時代小説とかを読んでいれば、そのくらい、頭に刻まれているものなのでは? と思う。
謎に包まれた「常陸」だが、県は「常陸国ブランド」として、常陸牛や豚肉「常陸の輝き」のほか、最近では「常陸国ロングトレイル」や「常陸国天然まがも」「常陸乃国いせ海老」も誕生させた。大井川和彦知事は昨年9月の会見で「(命名は)インバウンド向けに評価を得ている。ローマ字で親しみやすく、日本人が思っている以上に受けが良い。継続したい」と話した。では漢字の「常陸」への親しみは――。ネットでは常陸と合わせて「読み方」が頻繁に検索され、県が全国の20~60代に調査した結果、20代の約6割、30代の約4割、40~50代も3割超が読めず、「つねりく」「ときわ」などと読んだ。県販売流通課の担当者は「茨城にいると自然に読めるようになる。『読めないのでは』という声も聞いていたが、そんなわけないと思っていた。自分の常識を疑い、調査して驚いた」という。
「 20代の約6割」が「ひたち」と読めないとは言っても、こういうことって、年齢のほか、学歴、出生地、居住地といったファクターもかなり影響するんじゃないかとは思う。また、これらの人たちは、上総や駿河や周防や薩摩はわかったのだろうか? さらに、「常陸」を「ひたち」とちゃんと訓むことができた人たちがどうして訓むことができたのかを、深堀することも有意義なんじゃないか?
高校時代に、 日本史の授業で旧国名を暗記させて中間試験に出していた先生もいたな。
「常陸」は茨城の旧国名。由来は諸説あり、713年編さんの「常陸国風土記」では、一つの道が続く「直通(ひたみち)」と、ヤマトタケルが巡行した際に袖を浸したため「ひたす」から「ひたち」に転じた二つの由来が書かれている。では、なぜ「常陸」の表記なのか。茨城の歴史に詳しいかすみがうら市歴史博物館の千葉隆司館長は「理由はわかっていないんですよね」と明かし、「当たり前のことは資料が残りにくく、地名の字も資料が少なくて研究が難しい」という。
一方、県史は風土記を否定し、「道奥」(陸奥)にじかに接する国として「常道」(常陸)になったと説く。編さんに関わった「茨城地方史研究会」の久信田喜一会長は「風土記が引用されることが多い中、県史は新説を唱えた形で、風土記では満足できない人が諸説を出している状況ですね」とほほえむ。