茨城について思いついたこと

『朝日』の記事;


茨城県民の日、30年以上誤り 一日ズレ、県外から指摘

酒本友紀子、村田悟

2015年4月8日09時40分

 茨城県が30年以上、「県民の日」(11月13日)の由来を誤って説明していたことがわかった。1871(明治4)年の廃藩置県で「茨城県が設置された日」としてきたが、県の誕生は実はその翌日。今春の県立高校入試で問題文に使われ、外部の指摘を受けた。

 11月13日は、1968年制定の茨城県条例で県民の日となった。県も指摘を受けるまで、ウェブサイトで「県域に『茨城県』が置かれ、初めて県名が用いられた日」と説明。だが「法令全書」(内閣官報局編)などによると、茨城県の設置は11月14日。前日の13日は、初代県知事にあたる茨城県参事として山岡鉄舟(てっしゅう)が任命された日だった。

 県によると、制定当初は「茨城県という名称が初めて用いられた日」と広く解釈していた。いつから混同が始まったかは不明だが、少なくとも84年発行の県史に「県が誕生した」との記述があり、誤った説明は30年以上続いたとみられる。

 今年3月の県立高校入試で、明治時代の出来事を年代順に並べる社会の問題文に「11月13日に、現在の茨城県の範囲は新治(にいはり)県、印旛(いんば)県、茨城県の三つの県に統合された」との記述があった。これを見た福岡市の塾講師金子直樹さん(40)がミスを指摘した。ただ、受験生が学んだ内容と食い違いがないなどとして、採点はやり直さないという。県教委によると、県内の公立小学校の副読本も県の誕生を「11月13日」としており、中学校でも同様に教えている可能性が高いという。(酒本友紀子、村田悟)
http://www.asahi.com/articles/ASH475HXNH47UJHB017.html

そういえば、千葉県民の日って何時だったっけ?
これに隠された大陰謀に関しては、茨城県選出の藤田幸久ちぇんちぇー*1の追及を期待したい。そんなことはどうでもいいのだが、これは意外と重要な問題を提起しているのでは? 
これまで「茨城県民の日」とされてきた11月13日は「初代県知事にあたる茨城県参事として山岡鉄舟が任命された日」であるという。「任命」の時点で「茨城県」はまだ存在していなかったわけだ。素朴な疑問なのだが、まだ存在していない筈の「茨城県参事」が(内定されたのではなく)「任命」されたというのはどういうこと? そのとき既に或る特殊な仕方で「茨城県」は存在していたといえないだろうか。
さて、「現在の茨城県の範囲は新治(にいはり)県、印旛(いんば)県、茨城県の三つの県に統合された」。「茨城県」の「茨城」だが、旧常陸国「茨城郡」に由来する。Wikipediaによれば、その範囲は以下の如くである;

笠間市の全域
水戸市の大部分(概ね那珂川より北東を除く)
小美玉市の大部分(概ね園部川以西を除く)
常陸大宮市の一部(概ね那珂川以南)
桜川市の一部(猿田、木植、曽根、松田、友部、上城、犬田、鍬田、富岡、長方、中泉、上野原地新田、西飯岡以北)
東茨城郡城里町の全域
東茨城郡茨城町の大部分(海老沢・宮ヶ崎・城之内・網掛・小堤・駒場神宿を除く)
東茨城郡大洗町の大部分(成田町・神山町を除く)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E9%83%A1
茨城プロパーというのはこんなものだけど、やはり水戸を含んでいたことが大きいか*2。「印旛県」は旧下総国の領域。「新治県」は常陸と下総に跨った地域。「印旛県」も「新治県」も旧「香取海*3との関係が深い地域といえる。
ところで、茨城のことをイバラギというのは「誤用」であるとされる*4。でも、その「誤用」はどのように生じたのだろうか。実は、そう簡単に「誤用」とは思いたくないということはある。子どもの頃から、千葉の北にある県はイバラギだと思い、実際そう言っていたし、それは違うよと注意する大人もいなかった*5。イバラキというのは大阪府茨木市なのだと思っていた。「茨城」はイバラキだと知ったのは大人になってから。Wikipediaの「茨城県」の項は、このイバラキ/イバラギ問題に一切言及していないのだが*6、「茨城」の訓については、

県名の「茨城」は、現在「いばらき」と読まれる。歴史的な読みとして、前身の茨城郡について『和名抄』では「牟波良岐」、『常陸国風土記』の天保10年(1839年)刊本では「うばらき」と仮名が振られている。現在の読み「いばらき」は、この「うばらき」が転訛したものになる。
と記されている。
田幸和歌子*7「茨城はいつから「いばらき」になったのか!?」*8に曰く、

もしかして、秋葉原が「あきばはら→あきはばら」になったり、山手線が「やまてせん→やまのてせん」になったように、茨城もかつては「いばらぎ」だった歴史があったりしないか。茨城県庁・広報広聴課に聞いたところ、
「茨城が『いばらぎ』から『いばらき』に変わったということはありませんね。廃藩置県のときから『いばらき』です」という。
 
ええー。じゃ、なんで「いばらぎ」と言う人がこんなに多いのか、と聞くと
「茨城の独特のお国訛りのせいですね。茨城は、字幕が必要なほどの訛りではないですが、イントネーションが尻上がりになり、濁る言葉が多いんです。代表的な方言は『ごじゃっぺ』(てきとう)とかですね」。
 
また、『いばらぎじゃなくていばらき』の著者で、茨城王の青木智也さんは言う。
「茨城弁の発音は、か行、た行が濁音になる特徴があるんです。それで、茨城県内の人は自分では『き』と言っているつもりなのに、他県の人には『ぎ』と言ってるように聞こえて、『いばらぎ』だと思われるようになったんですよ。ただ、最近では、県外から来る人、移動などがあったりしてあいまいになり、県内でも『いばらぎ』と思ってる人はいます」
 
ところで、「か行」「た行」は言葉の頭にくる場合は濁らず、間に来る場合だけ濁る。たとえば「わかんない→わがんない(わがんねー)」のようになるとか。