ハーストと蝶(『自転車泥棒』)

呉明益『自転車泥棒*1(天野健太郎訳)から。


前にダミアン・ハースト*2を紹介するドキュメンタリーを見たことがある。反逆、挑発で名を馳せた、イギリスのコンテンポラリーアーティストである。かつてロンドンで開催された個展「In and Out of Love」で*3で、ハーストは展示会場に数百匹のチョウを放ち、飛ばせるだけでなく、交尾、産卵、そして死までを見せた。そのあとチョウの死骸を使って、教会のステンドグラスのような絵を二枚描いた。タイトルはそれぞれ「崩壊――生命の冠(Disintegration-The Crown of Life)」と「観察――正義の冠(Observation- The Crown of Justice)」である。ぼくは美しさをまった感じられなかったが、それでも、人の精神が持ちうる「熱狂」により殺された生命の総数は、間違いなく伝染病に負けないと、ぼくに思い出させてくれた。崩壊と観察。生命と正義。
ハーストの作品には惹かれないが、彼が自分の作品につけた名前は好きだ。いちばんよく知られているのは、四メートルのサメをホルムアルデヒドを使ってガラスのケースに保存する作品で、彼はこれによって世界でもっとも価値のあるコンテンポラリーアーティストになった。その作品名は――「生者は死者に心を動かさない(The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living)」(pp.145-146)