「牛蒡」から「足」へ

向田邦子麗子の足」(in 『無名仮名人名簿』*1、pp.162-167)の冒頭;


子供の頃は牛蒡が苦手だった。
人参のように目くじら立てて嫌いと叫ぶほどではなかったが、こんなものどこがおいしいのだろうと思っていた。笹がきにする時の包丁の使い方が、鉛筆をけずる時とそっくりなので、鉛筆のけずりかすを食べているような気になったのかも知れない。
牛蒡のおいしさが判ったのは、おとなになってからである。ソプラノよりアルトが、日本晴れより薄曇りが、新しい洋服より着崩れたものが、美男より醜男が好きになったのも此の頃である。(p.162)
「牛蒡」はもう退場してしまう。しかし、美術論でもない。

半年ほど前に岸田劉生展を覗いた。
没後五十年記念とかで、珍しいものもあったが、会場を歩きながら、絵に対する好みが変わるものだと気がついた。
若い時分は、劉生*2でいえば代表的な「麗子」の像が好きだった。ところが、いま一番関心をひかれるのは同じ麗子の像でも「麗子住吉詣之立像」なのである。マーガレットと呼ばれた毛糸編みの肩掛けを羽織り、くすんだ朱色の絞りの着物を着た麗子が、三段重ねのアコーディオンのような奇妙な形の提灯を下げている立ち姿である。
若い時分は、この絵の持っている暗さ薄気味の悪さがひとつ好きになれなかったが、いま見るとゾクゾクするほど好い。
夜は暗く冬は冷たく、神社や寺のお詣りは、はしゃいでいるようなもののどこか恐ろしい。子供の頃、漠然と感じていたものが、みごとに一枚の絵になっている。更にもうひとつ素足で立つ幼い麗子の足の、親指と人さし指の間が離れているのに気づいた。下駄をはいて育ったまぎれもない日本人の足なのである。(pp.162-163)