夏見潟

mori-chan「船橋市街地の寺社を訪ねて(船橋本町:西向地蔵から船橋大神宮へ)」http://mori-chan.cocolog-nifty.com/kojyo/2007/02/post_8d12.html *1


曰く、


船橋の夏見潟という入江は、中世末期まで存在したらしく、海老川下流、天沼などはその名残である。かつて、船橋大神宮*2 の西側、現在京成大神宮下駅*3から北へ市場から夏見方面へ抜ける道は、夏見入江の水際とほぼ重なるようである。中世は、現在の道筋とはやや異なるであろうが、その辺に古道があり、国府台合戦のおりに夏見から大神宮の北側台地上の峰台を経由して里見軍が退却した道筋は、その入江の北側に沿って通る鎌倉街道と推定される。なお、大神宮の南側、現在の国道14号線の山側の道は、上総道である。要は、現在の海老川沿岸は入江であって橋がなく、通行できなかったはずで、大神宮北側の宮坂が切通し道として開通したのは、徳川家康の治世の頃といわれている。
私は船橋市で高校教育を受けているのだけれど、これは知らなかった。要するに、現在京成船橋駅総武線船橋駅も海の中だったということだ。


船橋地名発祥の地」https://blog.goo.ne.jp/junko-f2/e/0a3f2f3c0d761d9cebdf61f51d1ee398


曰く、


船橋地名発祥の地(ふなばしちめいはっしょうのち)。
場所:千葉県船橋市本町1丁目と宮本4丁目の間にある海老川に架かる「海老川橋」。「船橋大神宮」(式内社「意富比神社」)西参道入口にある「大神宮下」交差点の西、約200m。駐車場なし。
かつて、この付近を出入口として奥に膨らんだ「夏見入江」あるいは「夏見潟」という入江があった。古代にはかなり広大で、概ね、現在のJR総武本線の線路の北側から夏見台地まで広がっており、現在は公園となっている「天沼弁天池公園」は、その名の通り元は池で、夏見入江の最後の名残りであったらしい。「大神宮下」交差点から北に延びている道路は、入江の東の岸辺を通る古道の跡であるともいう。現在の本町付近は東西に延びた砂洲の上にあり、古代には下総国府(現・市川市)と上総国府(現・市原市)を結ぶ官道(古代東海道の支路)が通っていた。
そして、その官道の現・本町側と現・宮本側の間にあった入江の出入口に「舟橋」が架けられていたことから、「船橋」という地名が起こったとされているのである。「舟橋」というのは、並べた舟の上に板を架け渡して川などを渡れるようにした橋のことである。もちろん、この地名の由来は伝説に属するが、ここに官道が通っていたことは確かなようであり、舟橋が架けられていなかったとはいえないだろう。