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水谷修「なつかしい一冊 坂口安吾著『堕落論』」『毎日新聞』2021年2月20日


肩書は「花園大学客員教授」。「夜回り先生」として知られるあの「水谷修」氏なのだろうか*1


「思春期」「青年期」ということばが、このところ聞かれなくなったと感じているのは、私だけではないだろう。中学に入学する頃から、性的な成熟が始まり、それとともに、自我意識が高まり、それまでの親や大人達からの支配を脱しようとして、反抗や不安などの精神的動揺を繰り返しながら、自己を確立していく大切な時期である。
昭和31年生まれの私は、「70年安保闘争」それに続く「高校紛争」の嵐の中で、この時期を過ごしていた。労働者の貧困は、資本家による搾取が原因であり、その解決には、この国の社会主義化しかないと、中学の時から左翼組織に身を置き、活動していた。しかし、敗北に次ぐ敗北、多くの仲間たちが離脱していった。また、大衆からの乖離の中で、より過激な活動へと進む仲間たちもいた。そのように追い詰められ、死まで意識したときに出会った一冊の本、それが、この本である。
と、坂口安吾堕落論*2の話。

この本を読んだその日に、私は、左翼組織を離脱した。朝まで続く「粛正」という名のリンチ。翌朝、傷む身体を引きずりながら見た景色を今も忘れることができない。空の色、木々や花々、すべてが今まで見たことのない美しさだった。社会や組織の奴隷として生きるのではなく、一人の人間として、人生を自分の思い通りに生きていく。「自由」の意味をはじめて知った。
*3は、こうも語る。「人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ」(続堕落論
私は、この日から、ずっと「求道者」として「青年期」を過ごしている。私の人生を180度変えた本である。