法の伝えなし

東京新聞』の記事;


【独自】浅草の名所が消滅危機 伝法院通りで不法占拠問題が表面化「なぜ今」店主は困惑
2021年6月5日 20時00分


 東京の名所・浅草寺の境内に隣接するレトロな商店街が消滅の危機を迎えている。「伝法院でんぽういん通り」*1と呼ばれる一角で40年以上にわたり営業してきたが、地元の台東区が、店舗の立つ場所は公道上で不法占拠に当たるとして立ち退きを求めているためだ。店主たちは「なぜ今なのか」と戸惑い、営業継続に向けて署名活動を始めた。(加藤健太)


◆浅草観光の定番コースで何が
 伝法院通りは、浅草寺仲見世商店街と交差する形で東西に約300メートル伸び、両脇に土産物店などが並ぶ。2000年代に入ってからのリニューアル事業で江戸の町並みが再現された。メンチカツや大学芋の人気店も進出し、着物姿で食べ歩きする客も多い。人力車の定番コースにもなっている東京を代表する観光スポットだ。

 台東区から立ち退きを求められているのは仲見世通りの西側に連なる32店舗。舞台衣装や作業着、雑貨などを売る店が多く、昭和の味わいある雰囲気が残っているが、区は「区道の上に許可なく立っている。道路法違反に当たる」と説明する。


◆「掘っ立て小屋ならともかく…」
 この32店舗でつくる「浅草伝法院通り商栄会」によると、起源は1977年、浅草公会堂が完成したころだという。公会堂の建設に合わせた区の周辺整備の一環で建てられ、この場所で終戦直後からバラックで営業していた露天商たちが入居した。
 商栄会側は、当時の内山栄一区長(故人)の指示で建てられたと主張する。西林宏章会長(59)は「掘っ立て小屋ならともかく、鉄筋造りの連なる店舗を勝手に並べられるわけがない。当然、区に認められていると思って商売してきた」と話す。


◆口ごもる区職員 背景に何が
 波風が立ち始めたのは2014年。区が不法占拠であることを商栄会に告げ、その後も説明会を開いたり戸別訪問を繰り返したりして、立ち退きを求めるようになった。
 区道路管理課の斎藤洋課長は本紙の取材に「建てられた当時から違法状態だったと認識している」としつつも、なぜ近年になって問題化したかについては「その時々の担当者がどう対応してきたかは分からないので…」と言葉を濁した。
 図面など建設の経緯が分かる資料は区にも商栄会側にも残っていない。主張は対立したまま、互いに代理人を立てて交渉している。ある地元関係者は「区が一代限りで認めたらしい」と明かした。

 店主たちは5月、営業継続への賛同を求め、週末の街頭署名活動を始めた。これまでに7000筆を集め、今後、区に提出する予定だ。西林会長は「商店街の一員として浅草の発展を支え、個人事業主としても所得税などを納めてきた。店がなくなれば生活の糧を失ってしまう」と訴えている。


◆専門家「行政は歩み寄ってもいいのでは」
 中央大法科大学院の土田伸也教授(行政法学)は、問題が表面化した背景について、「不法占拠の解消を首長に求める住民訴訟が近年増加するなど適性管理への社会的なニーズが高まってきている」と指摘する。
 一方、「不法占拠ながら観光面での貢献や事業主として納税があったのなら、行政にも得があったわけなので、代替地を考えるなど歩み寄ってもいいのでは」と語った。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/108887

先ず、台東区は店を追い出して何をしたいのかを明らかにすべきだろう。また、それよりも驚いたのは、1970年代後半のことなのに、関係の公文書が全く残っていないということだ。ことの真相は公文書の解読というオーソドックスな歴史学的方法では接近不可能であり、当時のメディア報道などの収集、当時を知る人の証言(記憶の再構成)といった社会学的方法に頼らざるを得なくなったのでは?