2007年に安倍晋三が「遵守」を「そんしゅ」と念んだという噂がありますが、裏は取れていません*1。
id:bluenote1969現在の勤務先の社長が「遵守」を「そんしゅ」と読んだ時には、この社長の下で働くのが、心底嫌になりましたが…。あと、最近は助詞の「が」と「を」の使い分けができていない人が目立ちます。例えば、「コンビニで、探していたお目当てのチョコが売っていた」という文を、平気でブログやツイッター等に書く人。「〜チョコを売っていた」、又は「〜チョコが売られていた」と書いて欲しいです。
「が」と「を」を取り違えるというのは、主格と目的格(与格)を取り違えるということで、非常に深刻な話ですね。でも、受動態をどう表現するのかということがあって、例えば、
壁にポスターが貼ってある。
で、壁にポスターが貼られている状態を表現します。
×壁にポスターが貼られてある。
というのはやはり不自然に感じて、こういうのを見ると、添削して、
壁にポスターが貼られている。
と訂正したくなります。
「チョコが売っていた」ですが、
チョコが売ってあった
なら良さそうですが、これもかなり変な感じ。これは、私たちが売るという動詞の意味に持続性を認めていないからでしょう。状態を表現できない。
「 チョコが売っていた」ですが、仏蘭西人の感覚ならOKなのかも知れない。その場合、チョコが自らを売るということになりますが。売るということで不思議なのは英語。この小説はよく売れている、は、
×This novel is sold well.
ではなく、
This novel sells well.
です。this novelは形式的には主語ですが、sellという振舞いの主体ではありません。売るのは出版社や本屋でしょう。小説は寧ろ売るという行為の対象。
read(読む)という動詞でも、
This novel reads easily.(この小説は読みやすい)
This novel reads well.(この小説は[読んで]面白い)
という用法がありますね。
これは多分「中動態」という問題*2にも繋がっているのでしょうけど、考えてみたら、中国語にも似たような問題があったのでした。