「太郎」以前

中本泰代「動く物語 「浦島太郎」」『毎日新聞』2020年11月29日


「浦島太郎」*1は元々『日本書紀』に雄略天皇の時代の「実在」人物として記載されている「浦嶋子」だった。


浜[京都府伊根町本庄浜]に注ぐ筒川に沿って約1・5キロさかのぼったところに、嶋子を祭神とする浦嶋神社はある。1294年の書写とされる文書「続浦嶋子伝記」や、物語を描いた絵巻「浦嶋明神縁起」(14世紀前半、国重要文化財)、玉手箱(室町時代)を所蔵する。資料室の床の間にかかる掛幅形式の絵巻(室町時代)を前に、宮司の宮嶋淑久さんが語り始めた。
神社があるあたりの山のふもとから小舟で釣りに出かけた浦嶋子。釣り上げた五色の大亀が乙女(亀姫、または神女)に姿を変え、2人は常世の国へ。夫婦になって暮らすが、3年たって嶋子は故郷を思い出す。神女から玉手箱を手渡され、「開けてはならない」と送り出された嶋子は、筒川のほとりで出会った老婆に「嶋子という人は300年前に海のかなたに行ったまま帰らなかった」と聞かされる。神女への思いを募らせ玉手箱を開けると、紫の煙がたなびき、それを追ううちに嶋子は白髪の老人になり亡くなった――。
広く親しまれている昔話とは、ちょっと違う。神社が伝える物語は、浦島伝説を記した最古の文献「日本書紀」や「丹後国風土記」(いずれも8世紀に成立)の内容に沿っている。因みに、「日本書紀」によると嶋子が蓬莱山へ旅立ったのは478年、「水鏡」(12世紀に成立)によると故郷への帰還は825年。これを耳にした淳和天皇が同年、浦嶋神社の建立を命じたとされる。
水鏡 (岩波文庫)

水鏡 (岩波文庫)


宮嶋さんによると、かつては沖の定置網にアオウミガメやアカウミガメがしょっちゅうかかった。漁師たちは「乙姫様が浦島さんに会いに来た」と言って、大八車で神社に運んで祈とうしてもらい、酒を飲ませて海に帰したという。