西山瞳*1「映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て考える〈バンドのおもしろさ〉」https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20190
「映画「ボヘミアン・ラプソディ」*2は、とても強く〈バンドっていいな〉という気持ちが残りました」。
曰く、
ところで、ロック・バンドの名前については、1960年代は、
ジャズ・ミュージシャンの私には、ロックやメタルでいう〈バンド〉というものに対して、多少の憧れがあります。ジャズは、毎日違うプレイヤーと、その日初対面であっても演奏できる音楽です。それができるように、各人が技術やコミュニケーション能力を磨いているので、すべてのミュージシャンは独り立ちした演奏家。〈腕一本で誰とでも〉というのが、ジャズのおもしろい所です。
そういう独立したミュージシャン同士でバンドをするとなると、ロック・バンドの〈運命共同体〉や〈ファミリー〉のような強い結びつきよりは、もう少しドライなものになります。
また、ジャズは即興音楽なので、毎回違う演奏を目指します。だから、ロック・バンドのように同じメンバーで集まって練習は重ねず、より音楽的になるように提案やディスカッションはしますが、基本的には各人がそれぞれの力を鍛えておくことが前提。バンドであっても、個人という要素が強いんですね。
ですので、昔から多くのジャズ・バンドは、〈オスカー・ピーターソン・トリオ〉など、リーダーの名前が頭に付きます。その個人の音楽性や技術が中心になるので、わかりやすいですね。サイド・メンバー(ジャズでは昔はside manと呼んでいましたが、知り合いのアメリカ在住経験のあるミュージシャンによると、男女差別用語的ニュアンスがある言葉なので、あまり使われなくなったようです)は、常に固定メンバーで演奏する人もいますし、頻繁に変えて演奏する人もいます。
リーダーの名前を見て音楽性を想像し、サイド・メンバーの名前を見てどんな化学反応が起こってどう昇華されているのか、名前のクレジット欄だけで期待と想像を膨らませる時間は、とてもドキドキします。
Animals
Beatles
Rolling Stones
Kinks
というふうに、複数形を名乗るのが主流だったように思う。その後、The Whoというのが現れて、60年代後半から1970年代になると、
Deep Purple
Led Zeppelin
Queen
Aerosmith
というように、単数形を名乗るバンドが主流になってくる*3。この変化は何を意味するのか。
映画の『ボヘミアン・ラプソディ』に戻ると、レコーディング・セッションのディテイルが描き込まれているのが印象的だった。後半になって、それは伏線だったということがわかる。クィーンの内紛が起こったが、今後作詞作曲のクレディットはQueenということにするということになって、解決する。ロックの楽曲はセッションを積み重ねることで徐々に構築されていくので、著者性を特定の個人に帰属させることは難しく、無理矢理帰属させると、著作権に関するメンバー間の紛争が容易に起こるということになる。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/11/06/085432
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180525/1527248001 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/29/144249 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/26/233015 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/04/07/125503 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/01/05/005947 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/07/05/112750 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/07/13/233652
*3:但し、形としては単数であっても、集合名詞として文法上は複数扱いされる筈。