気になった空白

朝日新聞』の記事;


栗原玲児さんが死去 妻は料理研究家のはるみさん
8/9(金) 0:01配信 朝日新聞デジタル


 元キャスターの栗原玲児さん(くりはら・れいじ)が3日、肺がんで死去した。85歳。葬儀は近親者で行った。喪主は料理研究家の妻はるみさん。

 ワイドショーの草分けだった「木島則夫モーニングショー」などに出演した。娘の栗原友さん、息子の心平さんは共に料理研究家
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190809-00000001-asahi-soci

スポーツニッポン』の記事;

元キャスターの栗原玲児さん死去 85歳 「木島則夫モーニングショー」サブ司会など
2019年08月08日 21時08分 スポニチアネックス


 1964年4月にスタートし、ワイドショーの草分けとなったテレビ朝日「木島則夫モーニングショー」のサブ司会などを務めた元キャスターの栗原玲児(くりはら・れいじ)さんが3日午後11時15分、肺がんのため死去した。85歳。葬儀・告別式は近親者で行った。

 歌手の坂本スミ子(82)と結婚したが、66年に離婚。73年に料理研究家栗原はるみさん(72)と2度目の結婚をした。娘の栗原友(44)、息子の栗原心平(40)も料理研究家

 フジテレビ「スター千一夜」のインタビュアーとしても活躍した。

 元NHK西田善夫アナウンサー(2016年死去)はスポニチ本紙連載「我が道」で、聖学院高校時代について「2年生の11月、生徒会長に立候補した。当時は大学受験が厳しくなっており、立候補者が少なく、予定していた生徒が急きょ辞退し、先生に勧められて決めた。会長の前任者はやがてNHKのアナウンサーから民放に転じ『木島則夫モーニングショー』のアシスタントとして活躍した栗原玲児さんだった。栗原さんの演説は抜群で、批判的な生徒たちさえ拍手を送るほどだった。高校生の話術も今は変化しているが、高校生として栗原さんを超える話術を聞いたことはない」と話していた。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-366719/

私が「栗原玲児」という名前を知ったとき、既に『木島則夫モーニングショー』の時代は過ぎていた。何で名前を知ったかというと、TVの司会者の人が民社党から参議院選挙に出馬して落選したということでだった。その頃、お連れ合いが「料理研究家」としてブレイクするということを殆ど誰も予期していなかった。後に栗原はるみさんがブレイクするまで「栗原玲児」の名前は多くの人の記憶から外されていた筈だ。ここに2本の新聞記事を引いたのだけど、その何れも栗原さんが民社党から選挙に出たということがオミットされている。さらに、Wikipediaの「栗原玲児」の項でも選挙の話は言及されていない*1。もしかして、栗原さんにとって選挙のことというのは忘れたことも忘れなければならない超黒歴史で、私の回想というのはとてもKYなことなのかと心配になってきた。