かわいい「鳩槃荼」

竹内翔「「4月30日に地震が...」ネットで出回る怪情報 根拠は「聖徳太子の予言」、その正体は?」https://www.j-cast.com/2019/04/28356520.html?p=all


曰く、


「平成最後の日」である2019年4月30日、あるいは「令和最初の日」となる5月1日に、東京を大地震が襲う――SNSなどで、こうした噂が流布している。

 その根拠とされるのが、「聖徳太子の予言」なるものだ。しかしJ-CASTニュースが調べたところ、その「予言」は、30年近く前の書籍で取り上げられた出所不明のものだった。


噂の発信源となっているのは、いくつかのオカルト系ネットメディアの記事だ。その内容を要約すると、以下のようなものになる。


――歴史上の偉人として知られる聖徳太子には、未来を見通す不思議な力があり、「未来記」なる書物を残していた。その太子が、このように予言したという。

「私の死後200年以内に、山城国に都が築かれ、1000年に渡って栄える(=平安京)。しかし『黒龍』(=黒船)が訪れ、都は東に移される(=東京)。しかしその東の都は200年後、『クハンダ』が来て、親と7人の子どものように分かれるだろう」
平安京、さらにその後の黒船襲来をも見通していた太子。その太子が、「東の都」は200年後、「クハンダ」によってバラバラになる、と予言した。「クハンダ」とは仏教用語で「末世に現れる鬼」だという。それによって東京がバラバラになるというのは、つまり地震などの大災害と考えられる。

天皇陛下の譲位と新天皇の即位によって霊的な守護力が弱まる2019年4月30日~5月1日こそ、その「クハンダが来る時」だ――


しかし、J-CASTニュースが調べたところ、そもそもこの「東の都にクハンダが来る」という予言自体、歴史的な文献では確認できなかった。

一方、五島勉氏が1991年に刊行した『聖徳太子「未来記」の秘予言』(青春出版社)ではほぼ同内容の「予言」が掲載されている。細かい解説なども一致するため、ネット上で拡散する「予言」はこれが原典と見られる。

五島氏は1973年刊行の『ノストラダムスの大予言』などの著書があり、「1999年人類滅亡説」の火付け役として知られる。ただ、『聖徳太子「未来記」の秘予言』では、「クハンダが来る」予言の出典を明示しておらず、その信憑性は定かではない。また五島氏の書籍では、この予言は「首都機能が分散する」意味だと解釈されている。

「クハンダが来る」の予言は東日本大震災を機に、ネット上でも言及される機会が増えたことが確認できる。「大地震」説は、出典が示されないまま引用、孫引きが繰り返される中で、解釈がひとり歩きしたものとみられる。


もう一度、各メディアの記事を読み返していると、「参考文献」として五島勉氏の『聖徳太子「未来記」の秘予言』を挙げるものがあった。ダメ元で取り寄せたところ、あった。太子が25歳のとき、宇治の地で残した予言として、下記のように「引用」されていたのである。

「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかってない壮麗な都になり、戦乱を十回も浴びてもそれを越えて栄え、一千年の間、遷都はないだろう。だが、一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される。それから二百年を過ぎたころ、こんどはクハンダが来るため、その東の都は親と七人の子のように分れるだろう」(原文ママ
ネット上で拡散する「クハンダ予言」と、ほぼ同一の内容だ。クハンダを「末世の時代に現れる鬼」「真っ黒く汚れた存在」と称するのも共通する。一連の記事のネタ元は、この本と見て間違いない。
では、五島氏はどこからこの「予言」を見つけたのか。続く文章には、「出典は、前出・白石重氏の著書など。原本も前出『旧事本紀』など。ほか熊野地方の神道系の太子研究者に取材」。ほかの「予言」は一応、出典が明記されているが、ここだけ非常に曖昧である。

白石重氏は、この本で何度か触れられている。新聞記者出身で、在野の古代史研究家だったようだ。国会図書館に収められた著書『聖徳太子』を確認したが、

「二百歳の後、一人の聖皇があって、ここに遷って都を造るだろう。皇道は興隆し、子孫相続いて旧来の軌範を墜さない。この時こそ都定まって、一般庶民も再び遷都の憂いがなくなるだろう」
とあるだけだ(この記述は「先代旧事本紀大成経」に基づくという。なお「大成経」は一般には、江戸時代の偽書とされる)。

とすると後は、「熊野地方の神道系の太子研究者」なる人物しかいないが、この部分で唐突に登場するのみで、残念ながら「正体不明」と言わざるを得ない。

――と、ここまで調べて、オカルト検証で知られる本城達也さんのウェブサイト「超常現象の謎解き」が、すでにこの件を調査していたことを知った*1。本城さんはすでに、この「予言」が五島氏の著書以前に遡れないことを確認し、こう断じている。


「つまり一見すごいように見えるクハンダの予言は、その大部分が存在自体、大変怪しいものだったのである。おそらく五島氏の創作だったのではないだろうか。氏がかつて執筆された『ノストラダムスの大予言』と同じようなものである」
私は2017年3月に、この「 聖徳太子の予言」を取り上げているのだが*2、その際、やはり本城達也氏のエントリーを援用して、「〈ノストラダムス〉と同様に五島の創作の部分が多いのだという」と書いている。また、その頃から、「クハンダ」出現と天皇譲位を結びつける言説は出回っていた。例えば、


白神じゅりこ「SMAP解散天皇生前退位」で日本滅亡!? 聖徳太子の予言「2016年クハンダ襲来、東京壊滅」が今始まった!」http://tocana.jp/2016/08/post_10662_entry.html


ところで、この記事の冒頭に、『新纂仏像図鑑 天之巻』に収録された「クハンダ」(「鳩槃荼」)の図が添えられているのだけど、馬系の妖怪で、けっこうキュートだ、と思った。


「5月1日、改元聖徳太子の予言」で日本滅亡か!? 悲惨な未来を変える“たった一つの方法”とは!?」https://tocana.jp/2019/04/post_93225_entry.html


4月22日付の記事。但し、後半を読むと、競馬予想サイト『マスターズ』*3のPR記事だということがわかる。そのショックで、「日本滅亡」以前に読者が死んでしまうという可能性もある(笑)。


聖徳太子が警告した、改元というタイミングでやって来る日本滅亡の危機を阻止できるかもしれない“最後の鍵”――それはズバリ、4月28日に京都競馬場で行われる第159回「天皇賞・春」だ。鼻で笑い飛ばしたアナタ、その認識は完全に誤っていると指摘しておく。まずは、天皇賞の歴史を紐解いてみよう。

 この名高いGIレースのルーツをたどると、1905年(明治38年)5月6日に横浜競馬場で創設されたエンペラーズカップにまで遡ることができる。エンペラーズカップはのちに「帝室御賞典」の名称で定着し、明治末期から1937年(昭和12年)まで日本各地で年に10回行われていた。帝室御賞典は太平洋戦争における戦局悪化のため1944年(昭和19年)秋に中止され、終戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名称で再開、同年秋から「天皇賞」と改称され現在に至っている。

このように、天皇賞は明治以降の皇室と密接に結びついたレースにほかならず、一時「平和賞」と名付けられていた経緯に鑑みると、(たとえ意図せずとも)やはり天皇を中心とする国家の安寧と繁栄を祈念する神事として機能していた可能性は否めない。つまり、今週末の天皇賞・春とは、数日後に迫った(一時的な)天皇空位に伴うクハンダ襲来と日本滅亡を防ぐための超重要な祈祷儀式として作用する可能性があるということだ。それを現実のものとするには、国家救済につながる“念”を集めるため、一人でも多くの国民が天皇賞・春のレースに参加することが必須となる。

果たして、「天皇賞」の効果というのはあったのだろうか。それと、4月30日は雨ということを「予言」していたか<聖徳太子五島勉