- 作者: 永田和宏
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/01/23
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の「径」を巡って、永田氏は
曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(Cited in p.183)
という。そして、「曼珠沙華」のイメージについて;
(前略)道はどこかへ通じる道というよりは、どこへも通じていない道、あるいはこの世ではない別の世界へ通じる道であるかのような静けさに満ちている。利玄の死の数ヵ月の作品であるが、どこかに死の予感をはらんだ作である。(p.184)
何よりも「曼珠沙華」という漢字の連なりに魅入ってしまう。これは梵語音訳なのだが*2。禍々しいというよりは妖し気な花の名前というと、鬼灯だろうか。『鬼灯』は荒木村重を主人公にした司馬遼太郎の戯曲で、やはり陰惨な話。
曼珠沙華はまた彼岸花とも呼ばれ、秋の彼岸の頃、季をあやまつことなく律義に花を開く。この花には剃刀花、死人花、捨子花、天蓋花、幽霊花、狐花など、さまざまな呼び名がある。どうにも陰気な名前ばかりが並んだという印象だが、じっさい普通の家庭では、彼岸花を摘んで花瓶に活けるなどということはしない。なぜなのだろうと、私などは思っている。田の畔などに不意に咲き出すが、古くはその鱗茎をさらしてデンプンをとり、救荒食物として用いていたという。
彼岸花はとても精巧に作られた花だと思う。名前の由来などを除外して虚心にその花の作りを見れば、いかに繊細に、かつ優美に作られた花かと感心するのである。もしこれが先入観なく、栽培種、庭で栽培できる花であるのなら、薔薇などにも劣らない人気を博する花になっていただろうことを、私は疑わない。まだ学生だった頃、数輪の彼岸花を摘んできて、蘂が溶け出すまで部屋に飾っておいたことがある。真紅の蘂がまっ黒に変わり、やがて細い細い糸のような名残りの黒が垂れ下がってくる。なんとも凄惨で凶々しく、忘れがたい印象を残したことであった。(pp.184-185)
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1994/10/18
- メディア: 文庫
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三浦康子*3「彼岸花(曼珠沙華)が妖しいワケ」https://allabout.co.jp/gm/gc/220622/