「人魚」など

「かっぱ、人魚、ヤロカ水…昔ばなしの妖怪が警告する、自然災害のおそろしさ」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171020-00010785-jprime-soci&p=1


所謂「災害伝承」を巡って。


わが国では地震津波、洪水など毎年のように多くの災害が発生、被害に見舞われている。過去の被災経験を民話やことわざ、教訓などで残したものを「災害伝承」といい地域や家庭で伝えられてきた。

「被害を数字や客観的な事実だけでなく、恐ろしさや悲しみなどの感情、教訓、メッセージを込め、民話や昔ばなしという形で伝えたほうが後世に残しやすいと考えたのでは」と説明するのは作家で民俗学者の畑中章宏氏。

また、

2004年、消防庁が災害伝承に注目、全国に伝わる災害伝承を集め整理、伝えるプロジェクトに乗り出した。現在、同庁のホームページには全国各地の災害に関する言い伝え、教訓など800件以上が集約されている。「地震が起きたら竹やぶに逃げろ」、各自一刻も早く津波から逃げる「津波てんでんこ」など、先人の教えを誰でも閲覧できる。
現代社会においては、河童も人魚も防災に役立つという有用性を示さない限り、居場所がないんだな。侘しいことだ。また、様々な伝承を防災のご教訓に還元してしまうことが果たして妥当なことなのかどうかという問題もある。それは、民話から独自な存在価値を剥奪して、不適切な仕方で合理化して、〈幼稚な科学〉、〈子ども騙しの科学〉として貶めてしまうことにならないか。

 さらに注目したいのは、被災地域に伝わる伝承の中には怪異現象や妖怪にまつわる話も多い点だ。

「災害後、生き残ったことへの安堵感と同時に後ろめたさも持っていたと考えられます。その言葉では表しきれない独特の感情を昇華させ、体験を語るためにも、妖怪の存在は都合がよかったんでしょう」と推測する*1

 その代表が『かっぱ』だ。

 東北から九州まで幅広く分布、各地の川や水辺に生息していたと言われている。

 埼玉県志木市も、かっぱの物語が伝わる地域のひとつ。

 昔、近くの川にかっぱがすんでおり、人や馬を水中に引っ張り込むなど悪さを働いていた。ある日、かっぱが村人に捕まり、焼き殺されそうになっていたのを地元の和尚が助けると、それ以来、悪さをすることはなくなった。

 本当にかっぱはいたのだろうか? 街の人たちに尋ねると「伝説だから」と苦笑い。

 しかし実は、かっぱと災害との関係は深い。

「かっぱの言い伝えが残る地域の川は過去に氾濫した記録があります。かっぱは氾濫を鎮め、水を治める神として祀られてきました」(畑中氏)

 そして、かっぱの正体は「実は水害や水の事故の水死体ではないか」とも言われている。

「死者の姿を畏れ、かっぱという架空の生物に重ねたのではないでしょうか」(畑中氏)

 志木市でも市内を流れる柳瀬川、荒川などが大雨のたびに氾濫。同市宗岡地区は荒川沿いにあり、明治時代の大雨では一帯が水没、8メートル超の高さの水がきた。周辺はたびたび水害に悩まされてきた。

たしかに河童は水害や水難事故と関わっている*2。また、興味深いのは、決して強い存在ではなく、容易く人間に捕まってしまい、リンチされてしまうが、僧侶に助けられるということ。河童の伝承自体が仏教の宣伝になっている。河童のようなローカルの粗暴な神霊と、村人のようなプリミティヴな暴力で対決するのではなく、仏法という普遍的な秩序に包摂することによって、神霊を馴致すること。
ところで、志木市の隣の朝霞市で話を聞いたことがあるけれど、たしかにあそこら辺の荒川の水害は酷かったらしい。荒川からはかなり離れているのだが、何時でも逃げられるように軒下に小舟を吊るしていた農家もあった。

かっぱ以外にも水害にまつわる民話は多い。東海地方の木曽川沿いには「ヤロカ水」という話が伝えられている。

 昔、大雨の夜、ある村に“ヤロカヤロカ(欲しいか欲しいか)”という不気味な声が聞こえた。それに対して村人が“ヨコサバヨコセ(もらえるならよこせ)”と答えたところ、押し寄せる水にのまれてしまった。

 木曽川周辺も大雨や台風が起きると洪水や土石流、鉄砲水が発生していた。地域にはヤロカ水のほか、橋や堤防を作る際に選ばれた人柱の人魂が大雨のたびに「雨に注意」と呼びかけて飛び回っていたという怪談も伝えられている。

 ヤロカ水の話が残り、水害除去などの祈祷をする愛知県一宮市の堤治神社の宮司、五十嵐二郎さんにヤロカ水は妖怪なのか尋ねたところ、

「妖怪ではありません」

 ときっぱり。声の正体は、

「ヤロカヤロカという不可解な声は濁流に石がのみ込まれたり、土地が侵食されたりするときの音の可能性があります。この音が聞こえたら早く逃げるようにと、その知恵としてこの話が生み出され、伝えられたのでしょう」

果たして、「早めの避難」をしろという教訓なのだろうか。多分運不運ということと関係があるのではないかと思った。洪水が起こっても、全てのムラが斉しく被害を受けるのではなく、被害が軽かったムラもあれば壊滅的打撃を受けたムラもあるということになる。壊滅的打撃を受けたムラの人は、隣のムラの被害は全然軽いのにどうして俺たちだけこんな目に遭わなければいけないのか? と当然思うだろうし、運が悪かったからだよと言っても、今度は何故運が悪かったのかという問いが出てくるかもしれない。その何故に答えたのが「ヤロカヤロカ」と「ヨコサバヨコセ」だったのでは?

 琉球王朝の時代、石垣島の漁師の網に人魚がかかった。人魚は漁師に“逃がしてくれたら大切なことを教えてあげます”と告げた。漁師が逃がすと“津波がくるから避難してください”と言ってきたというのだ。漁師たちは急いで村に戻り、逃げると巨大な津波が村をのみ込んでしまった。

 人魚の正体はジュゴンと言われており、人魚と津波とが関係する民話は沖縄県宮古島石垣島などの島しょ地域中心に各地に残っている。

 NPO法人沖縄伝承話資料センターの大田利津子さんはこんな仮説を立てた。

ジュゴン八重山宮古地方の人たちにとって貴重で身近な生き物でした。人語を話すわけではなく、ジュゴンから人魚という生物を空想、津波を民話という形で語り継げば被害や教訓を忘れないと考えたのではないでしょうか」

「人魚」=「ジュゴン」(儒艮)ということだけど、儒艮が生息していない本州でも「人魚」伝承は存在する*3。また、沖縄の八重山地方における「人魚」或いは「ジュゴン」の伝承もこれだけではない筈だ。だから、この話を理解するには、そうした大きな群の一項として理解しなければならないということになる。
さて、この話は「ヤロカヤロカ」とは逆にラッキーだったことを正当化する話であるといえる。他のムラ人は津波に呑まれてしまったのに自分だけは難を逃れた。そして、これは典型的な報恩譚。主人公が異界的な存在者(例えば、天女とか鶴とか亀)を救けると、その恩返しとして、富や幸運がもたらされる。河童の伝承にも報恩譚的な側面はある。
ただ、ヤマトとは違って、沖縄において地震はかなりレアな現象ではある*4
ところで、この記事の最初に、

「畑のほら穴には昔から“ムジナ(タヌキのような妖怪)”がすんでいるから、むやみに近寄ってはいけないよ」

 かつては、お年寄りがこんな話をよく聞かせてくれた。

 ほら穴の中に妖怪はいなかったが、近くには雨が降ると崩れやすい崖があった。大人はそこに子どもたちを近寄らせないよう、危険な場所に「妖怪がいる」と言い怖がらせ、災難を未然に防いだのだ。

と書いてある。実は、この記事に対する違和感はここから始まったともいえるる。「ムジナ(タヌキのような妖怪)」。貉というのは穴熊或いは狸の別名であって*5、「妖怪」ではない。動物だ。たしかに、狸や狐、それに猫は妖しいけれど、それ自体を「妖怪」とは言われないだろう。記事のタイトルを見ても、「かっぱ」はたしかに妖怪といえるかも知れないけれど、「人魚」のことは「妖怪」とは言わないんじゃないの? 要するに、何でも「妖怪」というか、「妖怪」の定義が広すぎ。

*1:畑中章宏氏の語り。

*2:See also 「<甦る経済秘史>カッパが消えた 開発と農村衰退」http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2015061602000229.html Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150619/1434685712

*3:See eg. 古屋江美子「不老長寿は幸せなの? 800歳まで生きた姫の伝説が残るお寺に質問をぶつけてみた」http://www.excite.co.jp/News/bit/E1491986180407.html Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170414/1492147220

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100227/1267287553

*5:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160629/1467167097