「猫は天国には行かず、女にはシェイクスピアのような劇が書けない」

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

ヴァージニア・ウルフ*1『自分ひとりの部屋』第3章に曰く、


(前略)わたしはいまは亡き老紳士、たしか主教だったその方が、シェイクスピアと同じくらいの才能を女性が持つなんて、過去も現在もありえないと公言していたことを思い出しました。その方は新聞各紙でそう書いていました。さらにある女性がこの型に問い合わせたところ、猫は天国にはいきません、魂みたいなものはあるにはありますがね、と答えたそうです。こういう老紳士の方々は、本当に思索の労を省いてくださいます! これらの方々のおかげで、知らないことが本当に減っていきます!  猫は天国には行かず、女にはシェイクスピアのような劇が書けないそうです。(p.82)
この「主教」とは誰? 或いは、(語り手の「わたし」と同様に)フィクショナルなキャラクターなのか。さて、「わたし」は「どんな女性であれ、シェイクスピアの時代にシェイクスピアのような劇を書くことは、何があっても絶対にできなかった」と「主教」に一部同意し(p.83)、悲惨な最期を迎えることになる、ウィリアム・シェイクスピアの架空の妹「ジュディス」を構築する(pp.83-86)。

(前略)自分で作ったシェイクスピアの妹の物語を振り返るのに、間違いないとわたしが思うのは、どんな女性であれ十六世紀に大きな才能を持って生まれたとしたら、気が狂うか、銃で頭を撃ち抜くか、あるいは男か女かわからない魔法使いと恐れられ嘲笑されて、村はずれの侘しい小屋で一生を終えることになっただろうということです。才能豊かな女の子が、その才能を詩作に使おうとしたときに、他のひとにはさんざん妨害され邪魔され、自分の相矛盾する本能にはさんざん苦しめられ引き裂かれたように感じたとしたら、必ずや健康を損ねるか、正気を失ったに違いないということは、心理学の専門知識を使わなくてもわかります。(pp.87-88)
訳者の片山亜紀さん、「訳者解説」に曰く、

(前略)ジュディスは兄ウィリアムと同じ才能を持ちながら才能を開花させられなかった女性、望まない妊娠をして自殺した女性として登場する。このイメージは第二波フェミニズム運動の中でいったんそのまま継承されたものの、その後の文学研究の中で十六〜十七世紀の女性劇作家や女性詩人が何人も発掘され、大幅な修正が迫られるようになった(たとえば楠明子『メアリー・シドニー・ロウス――シェイクスピアに挑んだ女性』みすず書房、二〇一一を参照)。これに伴い、ビートン/ウルフの文学史観――書きたくても書けなかった女性詩人にはじまり、傷だらけの作品を残した貴族女性が続き、職業作家アフラ・ベーンが一時代を画したというような漸進的な進歩史観――は、素朴すぎるとも指摘されている。(pp.263-264)
英語の原文をチェックしたのだけど、訳者がパラグラフを幾つかに分割してしまっているので、訳文からの原文チェックがかなりめんどうになっている。
A Room of One's Own & The Voyage Out (Wordsworth Classics)

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