「銀のテープが空から降ってくる」

吉増剛造*1『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』から;


(前略)六歳のとき、疎開して行ってた和歌山の永穂で、恐らく何か電波を妨害するためなのでしょう、アメリカ軍が空中に銀のテープを大量に投下したんですよ。空から銀の紙が降ってくるの。和歌山平野、全体にね。銀のテープが空から降ってくるなんていうのは、五歳、六歳の子どもにとっては驚異的なことだったのね。あれが記憶に残っているというのを「ああ、そうか」と思ったのは、写真のことを考えようと思ってロラン・バルトの『明るい部屋』をもう一回読み直し始めた時にね。ロラン・バルトは、ある別の人の目で見てるような、非常にレアな驚きの瞬間を写真が伝えてくるっていうのよね。
それと似てて、六歳のときに銀紙が空から降ってきたっていうのを、さっきの声と同じように写真のようにしてぱっとつかまえた*2。記憶というよりも裸形の写真のようにしてつかまえたんだな。そうするとそれが、写真のセルロイドのフィルムみたいなものにもなってくる。写真を撮るときに翻弄の写真はあらわれないから、写真のロールを重ねたりなんかして。そう、二重露光ね。ロラン・バルトは最初にナポレオンの末弟の写真を見たときに、自分がいま見ているのはナポレオンを眺めたその眼だと言って、それに驚いてる。で、ロラン・バルトはその驚きとともに自分の中に起こった非常に珍しい孤独な目を感じたらしいんだよね。それを読んでて、ああ、そうだ。空から銀紙が降ってきたときに驚いた。あれに驚いたのは、僕の中の写真――写真というまさしく真を見る、真を写すようなものがこっちに残った。(pp.76-77)
疎開」については、また、  

それから小学校に入る前に疎開をします。「疎開体験」と普通に言葉で言われるけれども途方もない経験で、電車に乗ろうとしても電車のドアのガラスが全部壊れちゃってるのね。ドアといってもドアがあいて乗るんじゃなくて、閉まってるドアの割れてるところから乗っていくようなね(笑)。そして父親の里の和歌山に疎開していくんだけど、東海道線は危ないっていうんで中央線で松本を通って関西線で回っていって、和歌山までたどり着きました。疎開していくときに、もちろんところどころで空襲を受けて汽車から逃げ出したり、あるいは小学校に入ったときに上から戦闘機が、帰り際に子どもをおどかすために上から急降下してきて撃ってきたり、そういうことを断片的に記憶として言語化もしているのだけれども、しかしそれら全てを交えて、恐らく伝達不可能な非常に暗い特殊な時代の空気のたまりみたいなところで生まれてきた子、なのね。(p.8)