後を追って

承前*1

スポーツニッポン』の記事;


ムッシュかまやつさん、愛妻の死知らずに天国へ 夫人が2月他界



 歌手のムッシュかまやつ(本名釜萢弘=かまやつ・ひろし)さんが78歳で死去してから一夜明けた2日、かまやつさんの最愛の夫人が2月末に他界していたことが分かった。かまやつさんは膵臓(すいぞう)がんを患っていたが、先にがんが判明した夫人を献身的に介護していた。ショックの大きさを考慮して訃報は知らされなかったが、愛する夫人のもとに旅立つ形になった。

 かまやつさんは年明けから入退院を繰り返し、2月に入ってからは一進一退の状態が続いていた。最後は今月1日、長男でミュージシャンのTAROかまやつ(46)ら近親者が見守る中、静かに息を引き取ったという。

 その数日前の2月末には、最愛の夫人も逝去していた。TAROは父親が亡くなる直前の1日午前、フェイスブックで「僕にとって世界一の自慢の母親でした」と追悼した。ショックの大きさを考慮して、かまやつさんに夫人の訃報は知らされなかったという。関係者によると、かまやつさんより先に夫人のがんが判明。かまやつさんは病院に付き添うなど献身的に介護していた。友人は「おしどり夫婦として有名だった。今頃天国で再会しているだろう」と悼んだ。

 かまやつさんは昨年9月に肝臓がんを公表していたが、その1年前の15年9月に膵臓がんであることが分かり、手術を受けていた。その後、昨年5月の定期検査で肝臓がんが見つかり、この時は手術は行わず通院して抗がん剤による治療を受けていた。

 12月8日に、グループサウンズザ・スパイダース」で一緒に活躍した堺正章(70)の70歳を記念したライブに出席したのが最後の公の場になった。所属事務所によると、近親者のみで葬儀を営み、後日、お別れの会を開く予定という。

 かまやつさんの悲報に、いとこで歌手の森山良子(69)は憔悴(しょうすい)。周囲のスタッフによると、以前から覚悟はしていたが、突然の死にショックが大きく会見を開ける状態ではないという。マスコミ各社にコメントを寄せ「(かまやつさんは)たくさんの良き仲間たちに恵まれ、自分の音楽を大切にギリギリまで活動できた。病室でもギターを弾き歌い、最後まで音楽を肌身離さず、どんな時もムッシュらしい一生だった」と故人の生涯を振り返った。

[ 2017年3月3日 05:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/03/kiji/20170302s00041000409000c.html

また、

吉川慧「ムッシュかまやつさん死去、78歳 「我が良き友よ」が大ヒット、ザ・スパイダース元メンバー」*2から;


自身最大のヒット曲となった「我が良き友よ」だが、最初に曲を聴いたときは困惑を隠せなかったという。

父親の影響もあり、幼い頃から洋楽浸けだったかまやつさん。かつて朝日新聞の取材で、「(『我が良き友よ』の)歌詞の世界がさっぱり理解できなかった」と回顧した。


広島出身の拓郎さんは、大学の応援団の先輩をモデルにしたらしい。だけどぼくは東京の真ん中で生まれ育ち、バンカラや上下関係なんて縁がない。あっさり歌うしかなかった
――2016年8月27日 朝日新聞・朝刊「be」より

だが、その後も「戦友」である吉田拓郎との親交は続いた。2006年9月には「フォークソングの聖地」静岡県掛川市つま恋多目的広場で開かれた『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』に出演。吉田拓郎とともに「我が良き友よ」を歌い上げた。

リリース当初は困惑したという「我が良き友よ」も、今になってみると「いい曲だ」と、かまやつさんは語っていた。


ムッシュ不本意だったろうけど、オレはいい曲だと思ってた、って向こう(編集部注=吉田拓郎)が言う。ぼくも、いま聴くといい曲だよね、と答えた。あわただしい日常の中、ふっと、あいつどうしてるかなと思い出す歌。誰もが共有する経験だから
――2016年8月27日 朝日新聞・朝刊「be」より