平尾誠二

朝日新聞』の記事;


平尾誠二さん死去 53歳、ラグビー日本代表の司令塔

2016年10月20日13時30分

 ラグビー日本代表の司令塔として活躍し、代表監督も務めた平尾誠二(ひらお・せいじ)さんが20日、京都市内の病院で死去した。53歳だった。神戸製鋼関係者が明らかにした。

 平尾さんは1963年生まれ、京都市出身。京都・伏見工高では山口良治監督のもとで3年時に全国高校ラグビー大会で初優勝を果たした。同志社大に進んでからは、当時史上最年少の19歳4カ月で日本代表に選ばれ、史上初の大学選手権3連覇も達成した。

 神戸製鋼ラグビー部では主将も務め、88年度から日本選手権で7連覇し、黄金期を築いた。日本代表ではワールドカップ(W杯)に3回出場し、91年には日本の初勝利にも貢献した。現役時代は主にSO(スタンドオフ)としてゲームを組み立てる役割を担った。99年のW杯では日本代表監督も務めた。

 98年に現役引退後は神戸製鋼の総監督なども務め、近年はゼネラルマネジャーとしてチームの強化や編成に携わっていた。
http://www.asahi.com/articles/ASJBN452SJBNPTQP00F.html

また、『デイリースポーツ』;

2016.10.20
ラグビー元日本代表の平尾誠二氏が死去


 ラグビー元日本代表で日本代表監督も務めた平尾誠二氏が亡くなったことが20日、わかった。53歳だった。

 平尾氏は京都・伏見工業から同志社大を経て1986年に神戸製鋼に入社。日本選手権で1988年から1994年まで7連覇を達成したが、平尾は88年から90年まで主将を務め、持ち前のキャプテンシーでチームを引っ張った。

 日本代表キャップは35。ワールドカップにも出場した。1998年に現役を引退。その後、神戸製鋼の総監督とゼネラルマネジャーに就任し、後進の指導に当たっていた。

 最近では、昨年8月4日に2020年東京五輪パラリンピックのメーンスタジアムとなる新国立競技場の新たな建設計画について話し合うため、遠藤利明五輪相(当時)とともに公の場に登場。「観客の満足度が高まらないと競技場の価値はない」などと力強く訴えていた。

 また2019年に日本で行われるラグビーワールドカップについても、組織委員会の理事を務め、嶋津昭事務総長の特別補佐にも就任。昨年5月の就任会見では「これまで行われてきたラグビーワールドカップすべてを選手、監督、観客として見てきた経験を生かしたい」と、大会成功への意欲をにじませていたばかりだった。
http://www.daily.co.jp/general/2016/10/20/0009596367.shtml

どのメディアでも死因は言及されていない。平尾氏は1963年生まれ*1。私よりも2つ下ということになる。大まかに同世代といっていいだろう。柔道の斉藤仁*2今井雅之*3、或いは川島なお美*4のような同い年ほどではないけれど、自分に近い年齢の人(しかも年下)が他界したということを聞けば、心はやはり動揺してしまう。