真継伸彦

10月3日の『毎日新聞』に葉山郁生氏による「精神の深みを描く」という追悼記事が掲載されていて、作家の真継伸彦*1が8月22日に亡くなっていたことを知った。
毎日新聞』の記事;


訃報
作家の真継伸彦さん死去、84歳 仏教の本質に迫る

毎日新聞2016年8月24日 19時41分(最終更新 8月24日 22時16分)

 仏教の本質に迫る小説などで知られ、社会問題や政治運動にも積極的に発言した作家の真継伸彦(まつぎ・のぶひこ)さんが22日、急性肺炎のため死去した。84歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男陽壮(ようそう)さん。

 京都市生まれ。京大独文科でリルケを研究。卒業後、大学などに勤めながら創作を続け、1963年、一向一揆を題材にした歴史小説「鮫(さめ)」で第2回文芸賞を受賞。その後も「無明」、「華厳(けごん)」など仏教の本質や自己発見を巡る硬質な作品を生んだ。現代語訳による「親鸞全集」(全5巻)も刊行。毎日新聞で82〜84年、半自伝的小説「青空」を連載した。作家の高橋和巳小田実らとは同人文芸誌「人間として」で交流した他、評論・随筆集「内面の自由」、同「深淵への帰行」などで全共闘運動の思想的意味付けや批判、知識人の行動のあり方を誠実に問い続けた。文筆を志す人の学校「大阪文学学校」で講義、講演を行うなど大阪を拠点に活動し、姫路独協大教授も務めた。
http://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00m/040/041000c

鮫 (河出文庫 104A)

鮫 (河出文庫 104A)

無明 (河出文庫 104B)

無明 (河出文庫 104B)

真継氏は1991年に、シャーマニズム新宗教にまで踏み込んだ宗教論『「救い」の構造』を刊行しているのだが、Wikipediaによると、最後の著作になっている。ところで、拙blogでは小田実司会で真継氏のほかに小松左京奈良本辰也、松浦玲が参加した座談会「歴史を語る」(in 『何でも語ろう』)に言及したことがあるが、そのとき採り上げたのは小田実小松左京のやり取りで、真継氏の発言は引用していない*2。少し引用しておく;

何を言っても歴史学の先生に笑われそうなことばかりですが、ぼくが歴史小説を書き出したのは、大学生(昭和二十七年頃)の時に共産党の火炎びん闘争が一番たけなわで、革命というものをどうしても考えざるを得なかった。ところが当時の共産党の運動が六全協という変更があって、無意味であったという感じを持った時に*3、一体日本人には革命精神があるのかどうかを考えるようになった。そしていろいろな本を読んでいて一向一揆にぶつかった。応仁の乱の後に一向一揆がどうして加賀の国一国を占領する勢力になったかを考えてみたくなったというのが一つの理由です。もう一つの理由は、ぼくが駄目な人間だから非常に絶望的になるわけですが、大学院を終わって絶望的になった時に親鸞が分かるようになったということなんです。もう一つは学生の時にリルケハイデッガーだけしか原書で読まなかったけれども、ハイデッガーの思想が禅の思想と共通点があると感じたし、この方向から禅に興味を持ち出したわけで、禅と浄土と一向一揆という三つのものに関心を持ったのが歴史小説を書き出した理由なんです。一向一揆が起こった時というのは応仁の乱が起こって、足利政権が完全に崩壊した混乱期であって、いわば新しい創造運動として一向一揆をキャッチできるのではないかという点で、ぼくが今やっていることと、小田さんのやっていることとの間に共通性を感じています。今の学生運動はこういう安定期の中で切れ目を作っていこうとする意志があるといえるんですが、当時は切れ目どころか断層がずっとできていて、だから新しいものが生まれてくる時期であると思うんですが……。(p.211)
何でも語ろう (1982年)

何でも語ろう (1982年)

ところで、『何でも語ろう』には、真継氏のほか、金達寿*4黛敏郎*5、村上重良*6山本七平*7が参加した「元号を語る」も収録されている*8