「植松容疑者は正気だった」(最首悟)

承前*1

古田寛也「「植松容疑者は正気だった」 ダウン症の娘持つ最首さん」http://www.asahi.com/articles/ASJ854DWTJ85ULOB007.html


この記事は全て読むことができないのだが。相模原の事件に対する 最首悟*2の発言は傾聴に値するといえるだろう;


最首さんは植松容疑者が精神異常者でも快楽殺人者でもなく、「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。植松容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。

 そして最首さんは、「共感する人も必ずいるでしょう」と言った。確かに事件後、インターネット上には、「正論」「障害者は生きていても誰の得にもならなかった」といった投稿が相次いだ。

 「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。植松容疑者は、人々の深層にある思いに訴えて「英雄」になった、と考える。

 だが、不幸を生み出す障害者を代わりに殺してあげたというような代行犯罪に対しては、はらわたが煮えくりかえるような怒りを感じている。「命とは何かを問うとき、その人の器量が問われる。障害者はいなくなってしまえばいい、というのは浅い考えだ」

ダウン症の娘」である星子さんについては、『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』を読まれたい。